センター数学200点を獲得する為の必須アイテム

やっぱりコレと教科書とノート数十冊程度と親御様の愛情だけで、センター数学200点満点を獲得することが出来るようだ!!!立証されるモノは、やはり立証されてしまう。さすがに親子共々、飛び跳ねておりッ。挙げ句の果てにハイ・タッチ☆確かに気持ちも分かる。数学だけで使い果たしたノートの冊数は数知れず。いつものように水が流れるような勢いで消費されていった。ちなみに文系で法学部志望だったり・・・周囲の固定観念を打っ潰したり吹き飛ばしたりするのって、とてつもなくオモシロ過ぎるッ

(; ̄□ ̄)<ガハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ))))))))

トツゲキ人生「決意」

既にタウンページも掲載されており、ホームページにもジワジワと攻めの姿勢を注入していた。そうこうしている内に肌寒くなってくるにつれて年々、忙しさも増していた。家庭教師を始めた当初から考えると1つ1つ進歩を遂げているのを多少、実感するコトが出来ていた。本当にこれは大変、有り難い話だ。そしてそんなある日の夜。たまたま仕事も早く終わって自宅のリビング?で何気無しに横になりながらテレビを見ていた。当時、あるある大辞典、という番組が放送されていたのだが、いつもなら見ないままシラーーーッと済ませていたのだが、その日は不思議と何となくジーーーッと見てしまっていた。それは前々から気になっていた「生命保険の話」という内容だったからだ。チャンネルを変えることもなく眺めていた。何だか分からないが、ある不安が脳裏に浮かんだ。

俺はこのままでええんやろか?、

年上女房だったのだが、金の草鞋を履かせる、という懐的な余裕も時間的な余裕もなく仕事、仕事、仕事に空回り必至で没頭しているだけの毎日。資金繰りに苦しい、と言える程のバロメーターで事業をやっているか、と言われるとマルでそうではない。小銭をチマチマと数えてその日暮らしをしているかのようだった。時間だけが無情にも過ぎていく。私の背中を押す訳でもなく肩をポンッと叩く訳でもない。何も言わないでただ過ぎていくだけだ。今の時間は今しかない。もっと将来的な事を考えるべきだし、もう本当に勝負に出るしかない。この番組がキッカケとなって時間の流れを肌で感じ、避ける事の出来ない事実に危機感を覚え、 自分にもしものコトがあったら家族はどうなってしまうのか、という思いが沸々と湧いてきた。とにかく無性に居ても立ってもいられなかったので次の日早速、いつもお世話になっている保険屋さんに連絡を入れた。今ではもう15年以上も付き合っていることになる。アレやコレやと良いコトを教えてくれるし、タイミングも図ってくれる。良き理解者だ。

そうなってくると将来に目を向けた考えは芋づる式にやってくる。愛娘の幼稚園のこと、家のこと、仕事のこと、生活をするうえでは必ず大切なモノ。仕事には関係無いし公私混同してはならない。しかし自営業であるがゆえ、仕事をするうえでは絶対的に切り離す事の出来ない状況ばかり。ましてや翌年4月には、愛娘が幼稚園に入学する、という事実が自然とやってくる。妻のお腹の中にも第二子が生きている。私は生まれも育ちも姫路だったので、近くの幼稚園で良いやん!!、という気持ちが普通に存在していた。けれども複雑な気持ちにもなっていた。愛娘が姫路の幼稚園に通ってしまうと小学校にも通ってしまう。もちろん高校に通ってしまう。そうなると私はもう姫路から飛び出せなくなってしまう可能性が大きく考えられる。加えて考えると、姫路で良いやん!!、という自分の心境の枠からすら抜け出せなくなってしまう。自分から抜け出せなくなってしまうのは絶対に嫌だ。自分の枠を抜け出すコトをやんないといけない、と毎日のように考えていたからだ。殺風景に生きていては何だ寂しいし、広い世界を見ないまま定着安定させてしまうのは刺激がない。でも姫路は大好きだ。好きで好きでたまらない。生まれた場所だし、高校時代のサバイバルを生き抜いた場所だし、海もあるし山もあるし、友達もいるし先輩もいる。みんな有るしみんな居る。増してや100年以上の歴史を持つ家系に生まれた長男の長男、という使命も存在する。けれども自分の人生だ。我が家のターニングポイントとなってみるのも我が家の家系らしいだろう。

よし!!決めた。絶対に兵庫県を目指してやる。<つづく>

2012中学受験・2012小学受験

落ちても受かっても向こう6年間を御願いしますネ!!

という有り難いお言葉をとっても多く頂戴致します。大凡その背景には、医学科受験への道、東京阪神への挑戦、を感じますので心を大きく引き締めて承らせて頂いております。そこで昨年より薄々感じているコトがあります。実際に中学受験や小学受験の合否判定に関わらず継続のご予約をとてつもなく多くのお客様より頂くようになりました。その為、限定数での中学受験生や小学受験生への対応が年々厳しくなってきている状況です。難しくも喜ばしくもあり本当に有り難いことでして多くの皆様方には大変、感謝致しております。

本年の合格実績におきましては例年程に承ることが出来ませんでしたので、学習塾に通われる通われないに関わらず20名を限定と致しまして対応させて頂いた次第です。様々な紆余曲折や波瀾万丈も重なり、そのうえで私達も力及ばずな点も多数ございまして大凡3名の受講生様が前期試験でハラハラした結果となりました。けれども後期試験ではシッカリと巻き返すコトが出来まして、私達も複雑な気持ちながらも肩の力がスッと軽くなった次第です。もちろん次なる戦略を即座にご提案させて頂きまして、次なる目標に向けてリベンジすべく実践の一途を開始させて頂いている次第でございます。絶対に諦めちゃいけません!!!

2012私立中学校受験
20名*合格率100%

灘中学校         (神戸市)2名

甲陽学院中学校      (西宮市)3名

六甲中学校        (神戸市)2名

関西学院中等部      (西宮市)1名

白陵中学校        (高砂市)2名

岡山白陵中学校      (岡山県)2名

岡山中学校        (岡山県)1名

淳心学院中学校      (姫路市)1名

三田学園中学校      (三田市)1名

神戸海星女子学院中学校  (神戸市)1名

武庫川女子大学附属中学校 (西宮市)1名

洛南高等学校附属中学校  (京都府)1名

関西大学北陽中学校    (大阪府)1名

東大寺学園中学校     (奈良県)1名

2012私立小学校受験 5名*合格率100%

神戸海星女子学院小学校  (神戸市)1名

関西学院初等部      (宝塚市)1名

雲雀丘学園小学校     (宝塚市)2名

仁川学院小学校      (西宮市)1名

トツゲキ人生「連動」

毎月1件ないしは2件程度のご連絡ないしは幾つかご紹介のご連絡も頂いていたので比較的、安定性を導きだすコトが出来ていた。それでもただ1つ、どうしても拭えない不安を抱えていた。それは、4月5月になるとお問い合せ件数が激減傾向にある、ということだ。歯止めを打って解決したかった。けれども、そこはまだまだ未熟な若僧。この問題を解決する術を見出す事は出来ずにいた。普段はジワジワと安定に向かって上昇するのだが、毎年4月5月となるとスコンッと抜けてしまう。万一、1月2月3月の3ケ月でご依頼を受けることが出来なかったことを考えるとゾーーーッとした。4月5月を境目に振り出しに戻ってしまう危機的状況が毎年起こるからだ。何とか出来ないものか、と考えたがそう易々と答えが出るはずもなく時間ばかりが過ぎていた。世の中の流れ的にそうなっているんだから・・・、というようなバカな言い訳は決してしたくない。 いろんなコトをあぁ〜だこぉ〜だと考えている内に落雷のようなアイデアが降臨しそうな気配も無い。原因を究明しようにも原因だらけで、ドコから手を付けて良いものか、と思案する状況。とにかく1つ1つ見直してみることにした。

タウンページの更新は年に1度っきり。1度決めると変更は容易に出来ない。だからコチラが賢くならないといけなかった。既に今では広告掲載内容は締め切られており後は、掲載時期を待つばかりとなっていた。考えるタイミング、発揮するタイミング、それぞれに独立していた。良いコトを考えても機会を失ってしまって効果は衰退してしがちだ。考え抜いた効果を今スグ発揮させたかった。そこで再びホームページに目を向けた。当時は、タウンページの効果が大きな力を発揮していたので、確実にタウンページ主導で動かざるを得なかった。ホームページの制作には時間を掛けて公開したものの集客は???状態のままで、上手い具合にホームページの効果を発揮させるコトは出来なかった。何とか制作してみても、これをみんなに知ってもらう為の術は無い。受験塾家庭教師を知ってもらう為にホームページを立ち上げたのに、ホームページを知ってもらう術がなかったのだ。

よしッ!!ホームページとタウンページを連動させてみよう、

タウンページを使って受験塾家庭教師の存在とホームページの存在を知って頂くことにした。既に今年度の掲載は完了していたので、この取り組みは1年後になるコトは覚悟していた。前回よりも今回、今回よりも次回、という動きでタウンページの掲載内容を良いモノに出来ていたように思うので中身の無い自信だけはあった。それに、時間と共に良い知恵が浮かんでいたし、せっかくホームページも立ち上げていたコトなので、より一層ブラッシングを掛けてみるのも良いだろう、と自分の中で完結していた。良いと思う事はとにかくホームページに書き込んだ。待ってろ!!来年の俺っ、という感じでコツコツとガツガツと書き込んだ。思った通りに書いては消して、消しては書いた。次第にホームページビルダーではなかなかスムーズに出来ない場面にも出くわしていたので、もう少し技術的に使い易いモノは無いか、と物色するようになった。そしてようやく見付けるコトが出来た1つのソフト。それは、ウェブデザインワークス、というものだ。パッケージを見るとホームページビルダーよりも自分のヤリたいコトが出来るような気がしたので、直感で購入。ホームページビルダーの時に設定作業で地獄を味わったのが功を奏して比較的、容易く設定を完了することが出来た。これまでホームページビルダーで使っていたファイルを使うことが出来る、という魅力に惹かれた節も合ったが自分自身の力の無さにお手上げ状態。その方法が見当たらなかったので、満を持して最初から新しく創ることにした。方法を探すよりも創る方が早い、と思ったからだ。大凡1年程度も制作に時間を要する状況が続くとは、当時の自分自身では知る由もなかった。<つづく>

タイヤ交換

真冬の雨の日に高速走ってて少しスリップしていたコトに気が付きました。

危険なのでスリップラインを確認、ラインオーバーなので新品タイヤ交換。

とことん半端じゃないぐらい多忙を期しているので、ディーラーさん様々。

ちなみにヨコハマタイヤのDNA_S_drive*195/45/17。

通常の30%offってコトなので30Lのオイルキープもしときました。

25万kmぐらいまでちゃんと丁寧に乗った経験を活かして大切にします。

トツゲキ人生「紹介」

ようやく春の陽気を感じられるようになった4月5月、相変わらずお客様の問い合せだけは寒さは残っていたものの奇跡的に確保出来たお客様のオカゲで、少し時間の使い方に余裕が出てきた時、ちょっと疑問に感じることがあった。それは既存のお客様から時折発せられるお話、俗にいうところの「ご紹介」というカタチ。このカタチに何とも不思議な違和感を感じていた。この業界ではご紹介があってこそ大凡、成り立つ部分も多い。ましてやご紹介に依存せざるを得ない背景も否めない。そこの部分に常々、不自然を感じていた。

ナゼに「ご紹介」というふうになるのか?、

とにかく考えた。家庭教師の為か、紹介元の為か、紹介先の為か、両者含めた相互間の為か、それを考えて考えて考えた挙げ句に気が付いて少し背筋が凍った。なぜならこの「ご紹介」というプロセスは、家庭教師自身がどうしても甘んじてしまう可能性が十分に存在してしまっているからだ。甘んじてしまうと人間はそう易々と殻を破れない。紹介してもらえるから・・・、と考えてしまうような刺激を脳裏に宿してしまって手元の仕事に変化をもたらしてしまう。これは絶対にダメ。ご紹介して頂ける方と頂けない方という次元で学習指導に差をもたらせてはいけない。学習指導とは、そもそもご紹介があろうと無かろうと全力を尽くさなければならないのだ。ご紹介元のお客様の命によりご紹介先のお客様に尽くすコトのみを大前提として「ご紹介」頂くべきであり以後、時間を掛けて次第に自分自身のお客様色に塗り替えていく努力をせねばならない。そこでこんなコトを考えてみた。

正の連鎖よりも負の連鎖の方が絶対に浸透し易いじゃん、

「ご紹介」というのはメリットよりもデメリットの方が圧倒的に大きい。それでも多くの家庭教師はご紹介頂くと大喜びする。知らぬとは恐ろしいもので、この食い付き1つで考えるチャンスと甘んじる心を手にしてしまう。出会いのキッカケと成り得るだけのプロセスと考えるべきなはずだ。ご紹介のお客様を受けさせて頂く時には、それ相応の環境が整っていて初めて成立すると考えるのが妥当だろう。だからこそ、ご新規のお客様を率先して集める、という仕組み作りをする必要がある。そうすることで、ここぞ!!という時にはいつも緊張感があるし、ストレスも感じられるし、喜怒哀楽も生まれて場合によっては感動にも繋がる。とにかくご新規のお客様を集めるコトを考えて行動し、そのうえで末永く御付き合い頂けるような信頼性を確立する方が長続きもするし、身に覚えのない噂も広がらない。単にご紹介してもらうというのは危険満載だ。それは浅く広くという観点に一過性を含んでいるという由縁だろう。深く狭くを大切に考えていくべきだし、自ずと広がっていくモノは自然に任せておけば良い。

そもそもご紹介先というのはご紹介元の近くにいらっしゃるものだから、わざわざご紹介元を経てご紹介先を紹介頂かなくても、自分の努力でご紹介先になろうとしていたお客様をご新規のお客様として迎え入れられるようにアプローチすることで確保に努めれば、それは結果的に等しいこと。いつでもどんな時もストレスを感じつつ時間もパワーも使いながらお客様を確保しなければならない。常に厳しい状態に自分自身を追い込むことで様々な知恵も浮かぶし、これまでに無い程にポテンシャルも発揮される。ご新規のお客様を集める、というコトをとことん専念するべきで、「ご紹介」はあくまでも副産物的な観点として捉えて、シッカリと支えられる環境を整えたうえで受け入れるべきであり、決して依存してはならない。とは言っても「ご紹介」というのはヤッパリ素晴らしい。新しい出会いのパラダイム。新しく出会う、というコトはその方々の人生ならびに子供達の大切な時期に大きな影響を与えることが出来る。話題に登ったり進展性に期待を抱いたり、いろんなコトが考えることに繋がる。

「ご紹介」の品質をより高く整えちゃえば良いんだ、

、、、という身も蓋もない不思議なことを考えてアプローチすることを思い付いた。単なるご紹介というのは危険過ぎる。ならば危険が付きまとわないような「ご紹介」を受ければ良い。ご紹介元の範疇でも、よりプライオリティーの高い方々に目を向けてアクションを起こせば良いのだ。ご紹介元のお客様も緊張するようなご紹介先であらば、より一層高い品質の「ご紹介」に発展する。イタズラに変な事にもならないし、変な波風を立てられることもない。それ相応水準以上で共通の価値観をもったご紹介ネットワークを確立出来る。そうなるように取り組みを実現すれば三者三様に良いコトばかり。何だか良いじゃん。

言葉ではなく手元全てを公開してみよう、

その為には謳い文句ではなく実績の公開が必要不可欠だ。実績を公開するには伸ばしていくモノを伸ばしていかなければならない。その為にもカタチの無い何かカタチをつくる必要があった。子供達の心の中には夢と希望が必ずと言って良い程に存在している。しかもそれは一人一人違う夢と希望。私達が無闇矢鱈に決めてはいけない。みんながみんな共通に持っていて、一人一人が各々にしか見えないモノ。それこそが「志」というイデオロギー。けれども小学生や幼稚園のお子様達にはよく分からないので、その「志」というニュアンスを噛み砕いて「道」と改めた。夢と希望への志、というのを、夢と希望への道、というふうに変えて、希望への道、というふうにブラッシングして整えた。シンプルかつ誰にでも分かるような何だかよく分からない感じの、決めない、というモノを決めた。このようにして「希望への道」というコンテンツが出来上がったのだ。

家庭教師で勉強を教える、というよりも、子供達の将来に大きな影響を与える、というふうに考え方を変えた。そこに絞り込むものを絞り込めば、それ相応の価値観に応じた方々から少しずつ評価を頂き、副産物的な観点でご紹介に繋がっていくものだろう。それも繊細に、かつ、間違いのないネットワークの確立に繋がる。カタチの無いものに価値を見出してくれる方々に評価を頂くことを目指せば良いのだ。その為には短期、長期なんて拘ってはいけない。いろんな角度からいろんな視野から様々な問題に対処出来なくてはならない力を自分自身に身に付ける必要があった。誰にも真似出来ない素晴らしい授業をするのではなくて、誰にも真似出来ない素晴らしい努力をすれば良い。それが向こう6年12年と長く御付き合い出来る付加価値が生まれて、それ相応の価値観を宿したお客様が集まったり育ったりするはずだ。かなり特殊な試みだし、かなり大きな勝負だが、そうでないと何だかいけないような気がした。実際にお客様は支えてもらえるんだったら長い間支えてもらいたい、という本音が多くの方々に存在しているのを従順に承知していた。これはとてつもなく単純なことだし当たり前のことだろう。誰もが目を背けるようなコトを徹底的に直視して何もかもに率先して取り組めば良むコトで解決出来る。タテにもヨコにも、掲載エリアや広告枠の視野を広げるコトを考えるのではなく、内容も広げなければならない。つまり具体的に言うとそれは、中学受験に本格対応したり、大学受験に本格対応したり、私立だろうと公立だろうと優秀だろうと危機的状況だろうと、全てに対応出来るような幅を内容に持たせるべきだなのだ。今だからこそ気が付いたのだが恐らくこれが、コンセプト、という何かが出来上がった瞬間だ。

よし!!「オモシロい」をとことん磨いてみることにしよう、<つづく>

トツゲキ人生「兆候」

ホームページを制作するにあたっての環境も凸凹なりには整って日々、構想を練りつつパソコンの前を陣取っていた。背伸びをしながら肩を叩きながら新しい衝撃を毎日のように感じていた矢先、いよいよ新しいタウンページが配布された。配布されるとどうしても気になるのが本当に掲載されているのかどうかだった。ピンポンが鳴って運送屋さんに手渡されてスグに立ったままで確認しては、ニヤリと笑みをこぼした。そのも束の間、少し周囲を見渡した。家庭教師の業者さんが増えているような気がしたのだ。まぁ〜でも、そうは言っても自分ところは吹けば飛んでしまいそうなぐらいの小さな小さな小粒業者。気にしても仕方が無いので気にも留めていなかった。気が付けば既に9月も過ぎており10月に差し掛かろうとしていた時期。大企業なタウンページと素人創りの殺風景なホームページという2つのコンビネーションが出来上がり、今後どのように発展してくれるのか、をとても期待していた。とにかく後はお客様の御連絡を待つばかりとなった。

10月に入って祭りも終わったぐらいに電話が1本、さらに11月に入ってスグに1本、そして12月クリスマス直前に1本、引き続いて年の瀬に1本、、、確実に問い合せやご依頼は増えている。けれどもここに来て不思議と思ったことがあった。これらの問い合わせやご依頼は全てタウンページから舞い込んできたお話だからだ。ホームページを一切介していない。結局のところ一緒なのか、と思ってホームページを止めてしまうにはタイミングが早過ぎるような気がするので、再び力を注ぐことにした。ホームページの見た感じが良くないのか、掲載している内容が良くないのか、複雑過ぎるのか、いろいろなトライ&エラーの悪戦苦闘を経て行き着いた1つの疑問があった。ホームページを立ち上げてもみんなに知ってもらわないと意味がない、というコトだ。気が付いた時には完全に寝耳に水で視界がパァーーーッと開けたのが印象的だった。確かにそうだ。ホームページで集客がある、というだけでは話が上手過ぎる。ホームページは単なる持ち物にしか過ぎない、と考えるべきだ。良いモノでもギュッと握り締めていては何にも始まらない。周囲のみんなに知ってもらわないと意味がないのだ。これを広める考え方をもたなければならないのだが、どうすれば良いのか分からなかったので、とにかくホームページの創り込みをよくするコトにだけ集中するコトにして、分からない状態でも出来るコトをひたすら行った。

そうこうしている内に2月初旬、タウンページのオカゲもあって食い繋ぐコトが出来ていた。さらに幸いにして既存のお客様からもご紹介を頂けていた。2月という時期に既存のお客様からご紹介を頂くのは大変、有り難かった。なぜなら3月から5月に掛けては仕事のご依頼や問い合せの連絡が激減してしまう傾向にあったからだ。そうなると家賃や広告費の支払いなんて当然のように出来なくなってしまう。一目散に負債を抱えてしまって小銭オンリー生活へ逆戻り。覚悟はしていても正直言って、この時期は恐かった。あんな生活はもう嫌だ。私も人間なので生存権ぐらいは全うしたい。ところがどっこいそんな不安も他所に、何とか3月中にはご紹介頂いたお客様も含めて今年1年を過ごせる程のお客様を確保するコトが出来たていたのだ。そうなると一先ずは安心。これは間違いなくタウンページ様々だ。広告の大切さをシミジミと感じた半年間の出来事だった。ちなみにこの半年程度で電話があったのはわずか5、6件程度。けれどもその内、成約に結び付けることが出来たのも5、6件程度。1ケ月の間に1件程度のペース、でもメチャクチャ助かった。連絡を頂いてスグに無料体験へ駆け付けたのは当然。もう必死以外の何モノでも無かったように思える。ご成約に繋げる方法は単純で、全てYESで答えて速く対応しただけ。無理しかしていなかったのは間違いないだろう。初めての事ばかりでミスも多かったが1つ1つ丁寧に解決していた。もちろん、その姿勢は今でも変わらない。むしろブラッシュアップされて速度も精度も増している。

5つのコト

基本的には言葉と手書きで説明しながら地道に進めます。

そして宿題提起を必ず行って翌週の授業に繋げています。

子供達の手元と瞳孔に注意を払いながら言葉を掛けます。

難問の際はジックリ考えさせた後に少し背中を押します。

問題の本質から目を反らさずに直向きに没頭してもらう。

トツゲキ人生「逆風」

要するに残された半年に夢と希望を掛けた最後で最後の広告の肝っ玉。掲載の根幹は既にタウンページで作り上げていたので絶対に変えてはならないと決めていた。そこでタウンページとホームページに一貫性を持たせる為に『受験塾家庭教師という屋号、みんなの心に伝えられるメッセージ、誰がみても単純な料金スタイルや対象、そしてフリーダイアル。とてつもなくシンプルな内容だったに違いない。もちろん手書きだったが誰が見ても分かるはずだ。さらに加えるとフルカラー、サイズ増、掲載地域の追加。。。』を軸として、掲載エリアや広告枠を思い切った。さらにフルカラーも適用するコトになっていたのでイメージカラーというモノも考えてみた。私という人間性はデリカシーがまったく無いし、頭脳ベースも直列回路そのもの。だからこそ考えなくちゃいけなかった。私のカラーがイメージカラーになってはどうにもならないからだ。当時は、鮮やかな紅色(べにいろ)で光沢感も無く繊細なマットな感じを決めた。受験塾家庭教師一発目としては、まぁ〜まぁ〜だったはずだ。ここまでヤリたい放題やってると当然の如く、予算は遥かに底を付きつつあったし、経費の変化も収入の変化もないのに広告費の数字だけが通常の3倍も増えていた。身も心も張り裂けそうな気持ちになっていたので、家庭教師をヤリ初めた当初からずっと抱いていた疑問をコダワリに変えてみるコトにした。やんなければ後で絶対に後悔する、と感じていたからこその一念発起。そのコダワリに変わりそうな疑問は幾つかあった。

(その1)家庭教師業者がお客様を集めるのに講師の学歴を公開するのは、ナゼだろう???、、、

多くの家庭教師業者は、家庭教師でお客様を集める時に必ずと言って良い程、学歴公開、を行って集めようとする。こんなのってぜんぜん意味無いように感じて仕方が無い。○○大学を経て、あぁ〜だ、こぉ〜だ、と謳い文句を使っている業者が兵庫県にも多数いるようだが、私個人的には何だか薄っぺらく感じてしまう。△△大学だから頭が良いので家庭教師が出来る、というのは何だか不自然。確かに理由付けとしては最もらしい雰囲気を感じるが、学歴に拘っている者が良い仕事が出来る、とは考え難い。学歴が何をしてくれるワケでもなく、何かをするのは全て人間だ。学歴で勝負するよりも学習指導で勝負をしたい。その方が何だかエキサイティングじゃん。だからこそ、受験塾家庭教師はホームページやタウンページで講師の学歴を一切公表しない、と決心した。

(その2)入会金とか解約金とか管理費とか、そんな最もらしい費用っている?、、、

そんなん絶対にいらんやろ。少なくとも私や受験塾家庭教師には絶対に絶対に絶対にいらん。一切、必要無い。それに虫眼鏡とかで見ないと見えないような小さい字で書かれた細かなルールや費用なんてのも必要無い。どこで勝負をしてるのか何だかズレているような気がして仕方が無いし、フレキシブルな感じがまるでない。教育業界なんだし家庭教師なんだから学習指導や築き上げた実績で勝負すれば良いのに、と思っていた。お得感を感じさせるような制度なんか別にいらん。制度を磨くよりも学習指導でスキルを磨く方がよっぽど近道だと自負していた。そのうえで誰が見ても誰が聞いても分かるような仕組みにしてやれば良い。とは言っても当時の受験塾家庭教師には、学習指導料金以外に交通費と教材費が存在していた。決めたコトとは言え、とてつもなく不自然に思っていた自分が存在していた。将来的には何とかして無くしてやると新たな決意を抱き日々、成長していけるリアリズムを磨くことにした。信念を持って24時間中18時間は頭と体を動かせば現実のモノとなるはずだ。少なくとも今やっているコトは仕事だとは思っちゃいけない。単にオモシロい事をやっているだけと認識すべきだ。だからこそ、受験塾家庭教師は信念もって覚悟を決めてリアリズムを磨くことに尽力を果たす、と決心した。

さぁ〜いよいよ勝負開始だ!!<つづく>