トツゲキ人生「明暗」

さすがに三田に住むともなると家庭内での話の進み具合が怒濤の勢いを見せている。妻はよっぽど三田に住みたかったのだろう。まず一番の話の進み具合が我が家での教育環境の劇的な変化だった。三田での幼稚園や習い事、地域の交流というのを妻は妻なりに整えていた。その情景を客観的に見ちゃうと、もう既に後には引けない感が確実に漂っていた。そこで私は私なりに三田のドコに居場所を設置するかを考えた。せっかく移住するのだから何だか新鮮な場所が良い。ワガママを言うと静かなところでぇ〜学校に近くて住環境の整ったところでぇ〜妻の実家から近いところ。そんな都合の良いところが良かったのだが、なかなか事は上手い具合にはいかない。当時、住んでいたのは閑素なマンションだったコトもあって大っ広げに、家庭教師業をやってますよ!!、とはさすがに言い難い環境た。その為にも次に移り住む時は、家庭教師やってますよ!!、って堂々と言えるようなところが良い。とりあえず今で言うところのSOHO物件を探しまくり、練りに練って絞りに絞って歩き回ったが、なかなかそんな上手い具合のところが無い。住環境が整っていて大々的に事業やっても良いところを探すのは至難の業だ。さすがは大阪や神戸のベッドタウンだけのことはあるだけに、そんな都合の良い環境は備わっていないようだ。不動産屋さんに足蹴に通うもののなかなか良い物件が見当たらない。いろいろ一緒に立ち会ってくれていたのだが、富士が丘周辺や小学校周辺では、建築条件付きの分譲住宅ばかりで賃貸物件は薄い発言。そんな話を聞いていて自分には縁もゆかりも無い話と聞き流していた。けれどもその何気ない会話が実のところ起こり得そうもない1つの選択肢となった。人間と言うのは恐ろしいモノで危機的な状況になると不思議な事が思い付くものだ。

そうだ!!家を買ってみよぉ〜〜〜ッ、

もちろん、そんな簡単な事ではない。名案?、明暗?、そんな小粒なアイデアで単なる思い付きであるがゆえ、私のような人間を相手にする人なんて誰一人すらいなかった。加えて言うなれば金も無ければ時間も無い。さらに個人事業主で仕事をやっている社会的ポジションだ。大きな企業に就職している訳でも無いし、それ相応の信頼性だけしかなかった。だからと言って他に選択肢があるかと言うと既に考え付かなくなっていた。欲しいモノは欲しいのだ。後先無視した自分本意な考え方だ。B型まるだし。何とかならないのに、カツカツで何とかなると思っていた。虚しくも考えている内に自分の首が時間とタイミングにどんどん締められていくのを実感していた。既にリミットは1年を切っている。とりあえず「家を買う」というのを目標に動いてみるしかなかった。けれどもドコでどのような相談を誰にすれば良いのか!?、そんな当たり前の事すら分からなかった。そんな訳で、善は急げ、とばかりに姫路リバーシティーのヨコにある住宅展示場へ伺った。入り口早々、積水、ABC、ダイワ、等々といろいろいっぱいあった。そこで目に止まったのが、大きなゾウさん。ハッとした。子供の頃、なるほどザ・ワールド、という番組が好きで好きで仕方が無かったのを脳裏のシッカリと食い込んでいた。そんなヒョンとしたキッカケが「旭化成」というキーワードに引き付けた。そのまま展示場の中に足を踏み入れ、予想通りに圧倒されてしまった。自分達が来るようなところではない、と心身共に感じながら緊張感タップリのままでご挨拶させて頂いた。その時に担当して下さったのが旭化成ホームズの東さんだ。いろいろご案内下さっている内に、お互い昭和53年生まれ、というのを知った。何だか新鮮なご縁を感じながらも、いよいよ深くてスリリングなご相談が始まった。<つづく>

無性に財布を創ってみたくなったので・・・1

注 文 書

先日は突然ご連絡致しまして誠に申し訳ありません。

兵庫県三田市の和田成博でございます。

貴殿のお力をお借りさせて頂きたく御連絡致しました。

何卒、宜しくお願い申し上げます。

用  途:財布

種  類:黒柿

原  稿:7枚 * 本書除く

詳  細:以下の通りです。

(1)素材厚みは3mmとしてみましたが素人な為、微調整ならびにご提案願います。

(2)貴殿のアドバイスならびに感性にお任せします。

(3)一体化したスッキリした感じで黒柿の味を活かした表面で願います。

質  問:ガラスコートを行ったようなテカテカに出来ますか?

トツゲキ人生「地図」

家庭教師をどうしてもお願いしたいんです。でもエリア対象外のようなんですが、、、

、、、というお話。正に空前絶後のナイスタイミング。間髪入れず事情も聞かずに即OKで快諾。エリア対象外だろうと何だろうとお仕事の話であらば可能な限り飛んでいった。早速、翌々日に電撃で打ち合わせを設定。ホームページをたまたま見付けて、何だか他社とは違う、という印象を受けてご連絡下さった。実はこれが最初の神戸のお客様からのご連絡。テンションが上がって上がって仕方が無い。都会やぁ〜、都会やぁ〜、という田舎丸出しハイテンション。けれども気持ち的に不思議な気分だった。なぜならば場所が神戸だからだ。何でもカンでもあるはずなのに、どうして私のところなのか!?、という疑問が先に立っていた。もちろん当日は緊張感まる出し。アワワ、アワワとなりながらも打ち合わせを敢行。小一時間程度で打ち合わせを無事に終えて、幸いにしてご依頼を頂くコトが出来た。特に神戸に住まなくても良いモノを持っていれば問い合わせは必ず頂ける。ただ間に阻まれる障害は幾つかあるだろうが取り除く事は十分に出来る。良いモノはやっぱり良いモノなのだ。神戸だろうと姫路だろうと何だろうと、いかなる場所に居てもお客様のニーズは必ず存在するのだ。これをキッカケに考えが前向きに加速した。

これまで姫路、神戸というイメージでバイパス経由、バイパス界隈という感じを払拭するコトが出来ず仕舞いで移動手段を決め付けていた。移動には大きな費用が掛かる、と錯覚していたのだ。東西の移動だからこそ費用が嵩む。ならば南北の移動だったら嵩張らないはずだ。一番ネックだったのは阪神高速の1回800円のみだったからだ。そこを切り抜ければ良いだけの話。その為にも居場所を少し北よりに考える必要があった。とは言っても兵庫県の真ん中辺りともなると冬場の積雪に少し困ってしまう。改めて地図を開いて移動1時間を半径として100%陸地で面積が覆われるという条件を重ねて円を描いた。南北の移動によって神戸のお客様を確保出来たり、駐車場の代金や移動に関わる費用が安いところ。そして山陽道、中国道、北六甲、神戸電鉄、JRという移動手段を活かせて、電車だろうと車だろうと、交通の便が良いところ。加古川姫路福崎にも地道で1時間圏内、高速道路でも1時間圏内。神戸の中央区や東灘区も1時間圏内。大阪でも1時間圏内。雪は降るが移動不能になる程には至らない、そんな都合の良い場所。どこだ?、どこだ?、どこだ?、といつものように自問自答。徹底的に地図を落書きしまくって直線を引きまくって円を描きまくった。そして導き出した結論が兵庫県三田市だった。付け加えて言うと三田という地名。何だか分かり易いし書き易い。小学校1年生でも分かる漢字だし響きがシンプル。さらに言うと妻の出産や産後のコトを考えた場合でも一石二鳥。実家が極めて近いことから何かありそうだったら実家にも任せられる。そうなると自然と仕事にも集中するコトが出来る。甘い考えかもしれないが里帰り出産という大義名分が世の中には存在しているので、こうなったら甘んじても良いだろう。子はいつまで経っても鎹、なはずだ。早速、妻に話したところ嬉し過ぎて飛び跳ねていた。恐らくのところ、親元気楽、というヤツだろう。確かに気持ちは分かる。

よし!!決まった。三田に住もうぅ===ッ、、、<つづく>

トツゲキ人生「親父」

満を持した春先早々に先を見通せない勝負が始まった。まずは一番の大きな難関。親父の説得から幕が開いた。昭和20年生まれで激動の高度経済成長期をズバ抜けて生きてきた男。一筋縄ではいくはずもないのは間違いない。とにかく真っ直ぐな人間。されに加えて言うならば腕っ節の強い芸術家であるがゆえの「我」というエッセンスも注入されている。このような話をすること事態が親父の逆鱗に触れてしまうのは百も承知。互いにとことんピリピリしながら3日3晩、朝から晩まで話をし話を聞いてくれた。姫路から飛び立つ理由、10年後の自分、これまでの反省、今後の計画、その他様々なコトを話した。もちろんだが、烈火の如く激の入ったモノになっていたのは言うまでもない。怒る、というよりも、大丈夫か?!、というニュアンスに近かったからだろう。けれどもやはり、恐いモノは恐い。そして互いに話も尽きてきた3日目の夜、こんなに親父と話したコトはなかった、と我に返り少し嬉しい気にもなった。昔っから厳格な親父。何だよ!!、と思っていた衝動も若かれし多感な時期には付きモノ。そんな当時よりも少しは歩み寄ることができ、理解出来る程に成長していた。話もポツンポツンとなってきた時、私の目の前に少し部厚めの封筒が静かに置かれた。なんや!?、と思いながら手に取り中を見て言葉に詰まり、自然と涙がこぼれた。しばらくの間お互い言葉も無いまま、まぁ〜ガンバレよ!!、、、という親父からの静かな一言。姫路を飛び出しても良いぞ、というシグナルだったに違いない。もう二人に言葉はいらなかった。心の底から本当に心配してくれていたと考えが改まった。同時に自分自身の小ささにも目覚めた。その途端、無意識に感謝の言葉が口から初めて出た。お父ん、アリガトウな、、、胸が詰まり照れ臭くて、何とも恥ずかしい気持ちで仕方無かったが、いつもの親父はいつもの親父の表情に戻っていた。竹を一刀両断したような性格には、広く大きく周囲を見渡せる繊細で慎重な性格が存在している。親父が親父で本当に良かった。

親父との談に達成感を覚えて胸を張りつつ次なる進展に臨んだ。姫路を飛び出してもドコに所在を置くかなんて全く考えていなかったのだ。とにかく姫路を飛び出す、とにかく兵庫県を目指す、という思いだけしかなかった。無計画としか言いようがない。ドコで仕事をすれば一番良くて効率的なのか、を考える為にコンパスを手に取って地図と睨めっこ。やはり考えが進まないので、とりあえず姫路市役所を基準に車で半径1時間としてコンパスを回してみた。すると意外なコトに気が付いた。姫路という場所は、海の部分の占める割合が比較的多い。何だか不思議な違和感を感じた。海に住む人がいるなんて有り得ないからだ。本来ならコンパスの面積部分が陸地ばかりにならないといけないし、そうなるところで仕事をするのが理想。そうすると自ずと「神戸」という選択肢も消える。姫路よりも海岸より、というのが理由だ。神戸は、兵庫県の県庁所在地。選択肢から外すのはかなり勇気のいることだ。だからと言って自分の見出した妥当性に言い訳をしたくない。一先ず分析するべく反例を考えてみた。仮に神戸に所在地を置いたとしても意地費が今以上に掛かり過ぎてしまうのは一目瞭然。家賃、駐車場代金に加えて東西を動き回るうえでのバイパス代金も掛かり過ぎる。加えて言うならば渋滞多発により移動時間を必要以上に切迫させてしまう。神戸に所在を置いて仕事をするイメージが付き難い。うぅ〜ん、、、と決め切らなかった丁度そんな時、偶然にも一本の相談のご連絡があった。恐ろしいまでの偶然であった。 <つづく>

センター数学200点を獲得する為の必須アイテム

やっぱりコレと教科書とノート数十冊程度と親御様の愛情だけで、センター数学200点満点を獲得することが出来るようだ!!!立証されるモノは、やはり立証されてしまう。さすがに親子共々、飛び跳ねておりッ。挙げ句の果てにハイ・タッチ☆確かに気持ちも分かる。数学だけで使い果たしたノートの冊数は数知れず。いつものように水が流れるような勢いで消費されていった。ちなみに文系で法学部志望だったり・・・周囲の固定観念を打っ潰したり吹き飛ばしたりするのって、とてつもなくオモシロ過ぎるッ

(; ̄□ ̄)<ガハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ))))))))

トツゲキ人生「決意」

既にタウンページも掲載されており、ホームページにもジワジワと攻めの姿勢を注入していた。そうこうしている内に肌寒くなってくるにつれて年々、忙しさも増していた。家庭教師を始めた当初から考えると1つ1つ進歩を遂げているのを多少、実感するコトが出来ていた。本当にこれは大変、有り難い話だ。そしてそんなある日の夜。たまたま仕事も早く終わって自宅のリビング?で何気無しに横になりながらテレビを見ていた。当時、あるある大辞典、という番組が放送されていたのだが、いつもなら見ないままシラーーーッと済ませていたのだが、その日は不思議と何となくジーーーッと見てしまっていた。それは前々から気になっていた「生命保険の話」という内容だったからだ。チャンネルを変えることもなく眺めていた。何だか分からないが、ある不安が脳裏に浮かんだ。

俺はこのままでええんやろか?、

年上女房だったのだが、金の草鞋を履かせる、という懐的な余裕も時間的な余裕もなく仕事、仕事、仕事に空回り必至で没頭しているだけの毎日。資金繰りに苦しい、と言える程のバロメーターで事業をやっているか、と言われるとマルでそうではない。小銭をチマチマと数えてその日暮らしをしているかのようだった。時間だけが無情にも過ぎていく。私の背中を押す訳でもなく肩をポンッと叩く訳でもない。何も言わないでただ過ぎていくだけだ。今の時間は今しかない。もっと将来的な事を考えるべきだし、もう本当に勝負に出るしかない。この番組がキッカケとなって時間の流れを肌で感じ、避ける事の出来ない事実に危機感を覚え、 自分にもしものコトがあったら家族はどうなってしまうのか、という思いが沸々と湧いてきた。とにかく無性に居ても立ってもいられなかったので次の日早速、いつもお世話になっている保険屋さんに連絡を入れた。今ではもう15年以上も付き合っていることになる。アレやコレやと良いコトを教えてくれるし、タイミングも図ってくれる。良き理解者だ。

そうなってくると将来に目を向けた考えは芋づる式にやってくる。愛娘の幼稚園のこと、家のこと、仕事のこと、生活をするうえでは必ず大切なモノ。仕事には関係無いし公私混同してはならない。しかし自営業であるがゆえ、仕事をするうえでは絶対的に切り離す事の出来ない状況ばかり。ましてや翌年4月には、愛娘が幼稚園に入学する、という事実が自然とやってくる。妻のお腹の中にも第二子が生きている。私は生まれも育ちも姫路だったので、近くの幼稚園で良いやん!!、という気持ちが普通に存在していた。けれども複雑な気持ちにもなっていた。愛娘が姫路の幼稚園に通ってしまうと小学校にも通ってしまう。もちろん高校に通ってしまう。そうなると私はもう姫路から飛び出せなくなってしまう可能性が大きく考えられる。加えて考えると、姫路で良いやん!!、という自分の心境の枠からすら抜け出せなくなってしまう。自分から抜け出せなくなってしまうのは絶対に嫌だ。自分の枠を抜け出すコトをやんないといけない、と毎日のように考えていたからだ。殺風景に生きていては何だ寂しいし、広い世界を見ないまま定着安定させてしまうのは刺激がない。でも姫路は大好きだ。好きで好きでたまらない。生まれた場所だし、高校時代のサバイバルを生き抜いた場所だし、海もあるし山もあるし、友達もいるし先輩もいる。みんな有るしみんな居る。増してや100年以上の歴史を持つ家系に生まれた長男の長男、という使命も存在する。けれども自分の人生だ。我が家のターニングポイントとなってみるのも我が家の家系らしいだろう。

よし!!決めた。絶対に兵庫県を目指してやる。<つづく>

2012中学受験・2012小学受験

落ちても受かっても向こう6年間を御願いしますネ!!

という有り難いお言葉をとっても多く頂戴致します。大凡その背景には、医学科受験への道、東京阪神への挑戦、を感じますので心を大きく引き締めて承らせて頂いております。そこで昨年より薄々感じているコトがあります。実際に中学受験や小学受験の合否判定に関わらず継続のご予約をとてつもなく多くのお客様より頂くようになりました。その為、限定数での中学受験生や小学受験生への対応が年々厳しくなってきている状況です。難しくも喜ばしくもあり本当に有り難いことでして多くの皆様方には大変、感謝致しております。

本年の合格実績におきましては例年程に承ることが出来ませんでしたので、学習塾に通われる通われないに関わらず20名を限定と致しまして対応させて頂いた次第です。様々な紆余曲折や波瀾万丈も重なり、そのうえで私達も力及ばずな点も多数ございまして大凡3名の受講生様が前期試験でハラハラした結果となりました。けれども後期試験ではシッカリと巻き返すコトが出来まして、私達も複雑な気持ちながらも肩の力がスッと軽くなった次第です。もちろん次なる戦略を即座にご提案させて頂きまして、次なる目標に向けてリベンジすべく実践の一途を開始させて頂いている次第でございます。絶対に諦めちゃいけません!!!

2012私立中学校受験
20名*合格率100%

灘中学校         (神戸市)2名

甲陽学院中学校      (西宮市)3名

六甲中学校        (神戸市)2名

関西学院中等部      (西宮市)1名

白陵中学校        (高砂市)2名

岡山白陵中学校      (岡山県)2名

岡山中学校        (岡山県)1名

淳心学院中学校      (姫路市)1名

三田学園中学校      (三田市)1名

神戸海星女子学院中学校  (神戸市)1名

武庫川女子大学附属中学校 (西宮市)1名

洛南高等学校附属中学校  (京都府)1名

関西大学北陽中学校    (大阪府)1名

東大寺学園中学校     (奈良県)1名

2012私立小学校受験 5名*合格率100%

神戸海星女子学院小学校  (神戸市)1名

関西学院初等部      (宝塚市)1名

雲雀丘学園小学校     (宝塚市)2名

仁川学院小学校      (西宮市)1名

トツゲキ人生「連動」

毎月1件ないしは2件程度のご連絡ないしは幾つかご紹介のご連絡も頂いていたので比較的、安定性を導きだすコトが出来ていた。それでもただ1つ、どうしても拭えない不安を抱えていた。それは、4月5月になるとお問い合せ件数が激減傾向にある、ということだ。歯止めを打って解決したかった。けれども、そこはまだまだ未熟な若僧。この問題を解決する術を見出す事は出来ずにいた。普段はジワジワと安定に向かって上昇するのだが、毎年4月5月となるとスコンッと抜けてしまう。万一、1月2月3月の3ケ月でご依頼を受けることが出来なかったことを考えるとゾーーーッとした。4月5月を境目に振り出しに戻ってしまう危機的状況が毎年起こるからだ。何とか出来ないものか、と考えたがそう易々と答えが出るはずもなく時間ばかりが過ぎていた。世の中の流れ的にそうなっているんだから・・・、というようなバカな言い訳は決してしたくない。 いろんなコトをあぁ〜だこぉ〜だと考えている内に落雷のようなアイデアが降臨しそうな気配も無い。原因を究明しようにも原因だらけで、ドコから手を付けて良いものか、と思案する状況。とにかく1つ1つ見直してみることにした。

タウンページの更新は年に1度っきり。1度決めると変更は容易に出来ない。だからコチラが賢くならないといけなかった。既に今では広告掲載内容は締め切られており後は、掲載時期を待つばかりとなっていた。考えるタイミング、発揮するタイミング、それぞれに独立していた。良いコトを考えても機会を失ってしまって効果は衰退してしがちだ。考え抜いた効果を今スグ発揮させたかった。そこで再びホームページに目を向けた。当時は、タウンページの効果が大きな力を発揮していたので、確実にタウンページ主導で動かざるを得なかった。ホームページの制作には時間を掛けて公開したものの集客は???状態のままで、上手い具合にホームページの効果を発揮させるコトは出来なかった。何とか制作してみても、これをみんなに知ってもらう為の術は無い。受験塾家庭教師を知ってもらう為にホームページを立ち上げたのに、ホームページを知ってもらう術がなかったのだ。

よしッ!!ホームページとタウンページを連動させてみよう、

タウンページを使って受験塾家庭教師の存在とホームページの存在を知って頂くことにした。既に今年度の掲載は完了していたので、この取り組みは1年後になるコトは覚悟していた。前回よりも今回、今回よりも次回、という動きでタウンページの掲載内容を良いモノに出来ていたように思うので中身の無い自信だけはあった。それに、時間と共に良い知恵が浮かんでいたし、せっかくホームページも立ち上げていたコトなので、より一層ブラッシングを掛けてみるのも良いだろう、と自分の中で完結していた。良いと思う事はとにかくホームページに書き込んだ。待ってろ!!来年の俺っ、という感じでコツコツとガツガツと書き込んだ。思った通りに書いては消して、消しては書いた。次第にホームページビルダーではなかなかスムーズに出来ない場面にも出くわしていたので、もう少し技術的に使い易いモノは無いか、と物色するようになった。そしてようやく見付けるコトが出来た1つのソフト。それは、ウェブデザインワークス、というものだ。パッケージを見るとホームページビルダーよりも自分のヤリたいコトが出来るような気がしたので、直感で購入。ホームページビルダーの時に設定作業で地獄を味わったのが功を奏して比較的、容易く設定を完了することが出来た。これまでホームページビルダーで使っていたファイルを使うことが出来る、という魅力に惹かれた節も合ったが自分自身の力の無さにお手上げ状態。その方法が見当たらなかったので、満を持して最初から新しく創ることにした。方法を探すよりも創る方が早い、と思ったからだ。大凡1年程度も制作に時間を要する状況が続くとは、当時の自分自身では知る由もなかった。<つづく>

タイヤ交換

真冬の雨の日に高速走ってて少しスリップしていたコトに気が付きました。

危険なのでスリップラインを確認、ラインオーバーなので新品タイヤ交換。

とことん半端じゃないぐらい多忙を期しているので、ディーラーさん様々。

ちなみにヨコハマタイヤのDNA_S_drive*195/45/17。

通常の30%offってコトなので30Lのオイルキープもしときました。

25万kmぐらいまでちゃんと丁寧に乗った経験を活かして大切にします。