トツゲキ人生「無知」

新しい事にどんどん挑戦すべく怒濤のような勢いで次なる動きとして、オリジナルTシャツ、を創ることにした。専ら理由は単純。夏は暑いからだ。クールビズの一貫、と言えば話もスムーズに理解しやすいだろう。しかしそれだけでは無い。この試みにも節約思考が行き渡っているのだ。単に暑いから・・・、という理由だけで、創る、私であるはずがない。6月から7月に掛けてジメジメとした季節ともなれば、洗濯物も乾き難い状態となるのは周知の事実。白シャツであるからこその乾き難さが存在する。そればかりでなく場合によってはクリーニング代も余分に掛かって仕方が無い。その点、Tシャツともなると、乾き易いし、常備し易いし、嵩も高くない。ましてやクリーニング代なんて一切、掛からない。そればかりだけでなく仮にお客様のところへお伺いさせて頂いて夏の暑い日でもクーラー無しで過ごすことが出来る。網戸にして窓を開ければ十分、凌ぐ事が出来る状況なのだ。正に一石二鳥三鳥!!、モノは考えようである。

制作の過程でまず一番最初に決めたのがカラーだ。男女問わず手当たり次第みんなに話を聞きまくった結果、ブラック、にすることにした。色が決まれば次は素材選びだ。そこで、パッ!、と閃いたのがUNIQLOのTシャツ。安いし一般的だしドコにでもある。それにUNIQLOと聞いて悪い気がしない。むしろ良い感じがするし 普段着慣れているから安心だ。そこで実際に店頭へ赴き、1つ1つ物色した。中でも目に付いたのがコットン100%。万一、ブレイクしちゃっても気分的には大きな凹みが生じない。また創れば良いだけなのだ。カタチ有るものはいつかし朽ちる。未来永劫、持ち堪えることの出来るカタチあるものは有り得ない。どんな時でも手に入る素材にする必要があったのだ。一先ずMサイズとLサイズに絞り数十着注文。それから直ぐにLLサイズも数十枚程度、追加で注文することにした。サイズの種類が多かったこともあり商品が揃うのに2、3日程度の時間が必要だったので、その間にデザインを考えることにした。何が良いだろう?!・・・とにかく考えた。いろんなTシャツを見まくって、シンプル・カッコイイ、をコンセプトに目指すことにした。パッと見て、欲しい!、と思ってもらえるようにしたかった。本当に考えた。とことん考えた。いつしかTシャツもUNIQLOから納入された。それでもデザインだけがなかなか思い付かなかった。完全に行き詰まっていた。Tシャツを考えるだけで、こんなにも真剣になるとは思ってもみなかっただけに日々、悪戦苦闘していた。

そしてそれから数日程が経ってから、自分の目の前に衝撃が走った。その時、私は野暮用で大阪心斎橋をテクテク歩いていた。Apple心斎橋の店舗前を横切る時、フッと何気無しに店内を見て、その瞬間が現れた。Appleスタッフみんなが青色のTシャツを着ているではないか?!、電撃が走った。一目散に店舗イン。AppleのTシャツを凝視そして記憶。受験塾家庭教師ロゴをTシャツの胸の上あたりにプリントする事を決めた。無論それだけでは単なるパクリだったので、もっと視野を広げて考えた。話題性を投入する為にQRコードをバックにも入れ、袖には野球選手のユニフォームっぽく「受験塾家庭教師」の名称と「www.jyukenjyuku.jp」のurlを入れることにした。アイデアを頭に印象付け即行オフィスへ戻り、Photoshopでアナログ・チックに素人設計。何が何でもの思いがパソコンに通じてファイルに落とし込むところまで出来た。これで全ての材料、全ての題材は整った。後はこれらのイメージをTシャツにプリントするだけとなったのだ。

ここに来て初めて気付いたことがあった。プリントしてくれる業者さんをチョイスしていなかったのだ。相変わらず鈍臭い人間である。何か1本抜けている。これではいけない!、早く創りたい!、とばかりに光の早さでネット上を隈無く検索。幾つか目星を付けた会社の中から、出来る限り早く納品してくれそうなところを絞り込み、そのうえでコストバランスが安定していたところに発注することにした。ここぞ!、と決めてメールで直アポ。先方の指示通りファイルを提出し、直ぐにTシャツも提出。もちろん料金も即日完納である。それから10日程が経って、いよいよ納品。ただしかし、そこに待ち受けていたのは、憤り、というオマケがついていた。納品されたモノを一見して絶句。実に十数枚程度のプリントがズレているのだ。プリントをお願いした業者さんの仕事がとにかく適当極まり無い、と感じながらも自分を恥じた。冷静になって考えるとこのような何もかもの失態は、滞り無く準備を整えなかった自分の責任なのだ。仮にクレームの連絡を入れたとしても、失敗すれば謝る、というプロセスを先方が歩み、それを私が容認するだけにしか過ぎない。生産性なんて全く皆無であるのは理解出来る。クレームを掛けても無駄。失敗したTシャツ群は元には戻らない。もう後の祭りなのだ。

無事にプリントされたTシャツに初めて袖を通し、拳をギュッと握り締めた。ただただ項垂れながら失敗作を1つ1つ確認し全て廃棄。もちろんリサイクルである。車の洗車用の拭き取りタオルと化していったのだ。後味が悪い、と言えばそうだが、社会の厳しさ、という味を感じることが出来た絶好の機会であった。そうスンナリ自分の思い通りになんていくはずがない。そもそも自分の思い通りにいく事こそが甘い考えである。何かにつけて障害は付き物だ。障害があろうと無かろうと正面切って突き進まなくてどうする。向こう岸を見るには背伸びをする努力をしなくちゃいけない。多少擦りむいたとしても、擦りむく価値は十分にあるのだ。歩みを止めてはいけない。

トツゲキ人生「封筒」

さらに勢いは留まるところを知らない。前々から手を付けたかった発送経費の節約を進めるべく、お客様へ毎月送付させて頂いている書類群の見直し、に着手にすることにした。創意工夫さえすれば節約出来る部分をさらに節約することが出来るはずだ。如何なる発送物もお客様に一刻も早くお届けするコトを目的に、元来よりクロネコヤマト速達便を利用していた。けれども、この機会に1つ1つ精査してみることにした。とにかく疑問に思ったコトに対してキチンと答えを出し、そして改善改良を試みることにしたのだ。そこで上がったのが次の3つの問題である。普通郵便でも原則即翌発送が実現出来るのではないか、伝票準備の手間暇を送り元が負わなくても良いのではないか、郷に居れば郷に従えば大きな効果があるではないか、というものだ。

まずは原則即翌発送の問題解決を図る為に、タイムラインをとにかく精査したうえで普通郵便でも即翌発送が出来る時間帯を絞り込んだ。すると、あるタイミングまでに最寄りの郵便局へ直依頼すれば実現することが出来ると気付いたのだ。これにはさすがに驚いた。灯台下暗し、とは正にこの事だっただろう。原則即翌発送を実現した状態で、いきなり送料50%削減が実現出来たのだから無理も無い。こんなにも簡単に経費が節約出来るとは思ってもみなかった。これは大きな反省である。

次に発送に掛かる手間隙の問題解決を図る為に、作業に要する時間をーから十まで計測することにした。宛名書き、伝票明記、バーコード貼り、糊付け、これらの小さな作業が連発する。発送物が1つや2つなら未だしも、数十通、数百通ともなれば時間も労力も大きく要する。宛名書き、糊付け、だけなら郵便物を作るうえでは基本作業と考えることが出来る。作業後は最寄りの郵便局にドサッと出せば、郵便局の方が切手を貼って自動的に出してくれる。要するに郵便局を利用した場合、労力の軽減に繋がるのは必至。それに比べて、クロネコヤマト速達便では、伝票明記とバーコード貼りで余分に手をとられる。この作業が節約されただけで経費の節約に繋がる。まらこれは同時に効率化という副産物を生み出してくれた。人件費に当てはめて具体的に算出してみたところコレまた驚きだ。軽作業に掛かる人件費を40%も削減することが出来る事実が存在するのだ。これまた大きな反省である。

最後により一層大きな効果的な節約を図る為に、郷に居れば郷に従う作戦を敢行した。とにかく郵便局に通い詰める回数を増やして、郵便局の方々と仲良くなる必要があったからだ(この作戦は本当に正解!!)。そこで得られた情報を元に発送物に関する情報を導き出せば、必ず大きな節約に繋がると信じていた。予想は正に的中した。g単位、mm単位の微調整に始まり、ノリの貼る場所や量、中に入れる紙面の枚数に至るまで拘った。少しでも軽くする為、封筒の材質も吟味。紙面1枚増やす為にわざわざオーダーメイドで封筒を作ってやった。10分の1g単位への挑戦が実を結び、定形内郵便80円を実現することが出来た。 郷に居て郷に従えば、良い事が自ずと集まってくるものである。

これらの結果、60円掛かっていた消耗費が30円で済み、200円掛かっていた送料が80円で済み、3分掛かっていた手間隙が1分50秒で済み、3分後に届けていた発送物が1分50秒後にお客様の手に届くように手配することが出来る。1通あたりという状況での改善改良であるから驚きだ。軽作業に掛かる人件費も抑え、作業スピードの効率化という副産物的な効果を手に入れた。学習指導プロセスが仕上がりご提案書作成を経て、お客様への発送を完了させるまでに要する時間は、たったの15分程度にしか過ぎない。ちょっとした事でも全力を尽くして拘りもってやれば、想像もつかない程に大きな効果へと結び付くものだ。

トツゲキ人生「具現」

新しい年度始め、というのは決まって何だか気分が良かった。家族旅行で得られた気付きを生かすべく、受験塾家庭教師、という組織のさらなる具現化に手当たり次第、息切れする寸前まで取り組んでみることにした。

そこで、まず思い立ったのがメルマガである。これは外回りの休憩時に昼食をとっていた時、丁度、目に入ったポップがキッカケとなっていた。物凄く衝動的な動きだったに違いないが、手当たり次第、という言葉に相応しかったので、知識は皆無に等しい状況だったけれども、そんな事はお構い無しだ。やってみたい!、と思ったらやってみるべきなのだ。みすみすチャンスを逃すことはない。経験なんて無ければ創れば良いし、工夫して磨けば良いだけの話なのだ。思い立ったら即行動!!、メルマガについての本を2、3冊買い漁って一日二日掛けて熟読。そこで得られた知識は大したことは得られなかったが、イメージを膨らませる良いヒントにはなった。その勢いでさらに翌日には、知恵を借りるべく株式会社ディフェンス様にも連絡。ところがどっこい、やはり自分が想像していた以上に難所は数多かった。構想2日目にして暗礁に乗り上げ、このタイミングを逃しては未だ見ぬ効果が来年になってしまう、という危機感が浮上してくる。こうなれば今まで通り、オリジナリティーを出して自分の業態にあったモノを自分が創るしか他なかった。まずは回数、時期、内容という3つに絞り込み、その上でSNSとの連動方法や受付方法等を決めた。さすがに懐具合も重なって当初思っていたような大掛かりなメルマガ戦略としはて実現出来なかったものの、初の受験塾家庭教師メルマガを送信するまでに漕ぎ着けた。構想からわずか5日目の事である。お客様の手元にお客様のニーズがダイレクトに届く便利さは本当に大きな力と言える。

次から次へと頭がグルグル回っていた事もあり、間髪入れず次なる取り組みに入った。それは前々から考えていた事なのだが、戦略的ビジネスカード(名刺)の作成、である。今までのように、単なる名刺、という位置付けでは何だか寂しい。本来、名刺というツールは本当に優れているものでなければならないはずだ。私自身、それを生かしきれていないことを前々から感じていた。名刺そのものに何か意味を持たせて、インパクトのある初対面の儀式に繋げることで、その後もずっと手元に残して頂けるはずだ。仮にそのような認識を反映させることが出来なかったとしても、名刺という媒体がブリッジという役割を担ってくれれば良かった。名刺、というところに情報を留めて持ってもらう必要は無いのだ。次に繋がるような仕掛けを名刺に宿しておけば、自ずと戦略は上手い具合に働くだろう。表現する最大のポイントとしては、受験塾家庭教師、というワードよりも、自分のフルネーム、の方だ。それでいて連絡先は、人to人、に絞り込めば良い。屋号よりも自分のフルネームが目立つようにして、表面には担当者の指名と電話番号とメールだけ。もちろん屋号も入れるがそれら3つ以上に目立つ必要は無い。それでいて裏面には会社の連絡先と住所を明記するだけで良い。こうすることで顔と名前が一致せざるを得ない状況を作り出すことが出来る。ここまで決まれば話はトントン拍子に進んでいく。携帯電話を右手で持てば、名刺は左手で持つ。比較的そんな方が多いからこそ、フォントはヒラギノpro、サイズはギリギリ見える9、レイアウトは一点集中型、という3つの構成にする必要があった。右手に携帯、左手に名刺、というスタイルが無意識に起きるようにしたかったのだ。出来栄えとしては満更でもなかった。見難い名刺、というインパクトが起きて、それがシッカリと機能している。お客様の携帯電話にキチンと入り込み、そして常日頃から連絡先を検索する際に必ず目に付く。棚牡丹も相成って、目に付く、という広告効果も働いていると言えよう。それを証拠に一度お会いしたお客様からは半年一年以内に、二度三度とご連絡頂くケースが現に多かったりするのだ。

トツゲキ人生「贅沢」

年も明けてから縦横無尽に動きまくっていると3ヶ月という月日はアッと言う間に過ぎていく。気が付けば桜の期節になっていたりするの茶飯事だ。例年必ず、と言っていい程に家族みんな揃って姫路城へ花見をしに出掛ける。今となっては間違いなく恒例行事化している。生まれ育ったところだし、高校時代の怒濤を生き抜いてきたからこそ、思い入れはとにかく大きい。実のところ当時の我が家にとっては年に一度の贅沢旅行なのだ。

朝9時ぐらいには家族みんなダラダラと起床。1時間ぐらい掛けて朝の身支度やベビーカーの積み込み等のお出掛け準備をする。そんな様々なモノを小さくて小回りの効き過ぎる我が家の高級車ヴィッツに積み込み、いざ出陣。ローソンで朝ご飯なる食べ物を買い込んで姫路へ直行。道中、買い出してきたモノを皆が皆それぞれでお腹を満たす。そんな感じで家族みんながギュッとなる。そんな光景が我が家では例年恒例行事ともなっており結構、オモシロかったりする。

そんな適当な感じで小一時間運転して11時前ぐらいには姫路へ到着。即行お城で散策。写真を撮りまくり、ウロウロしまくって小腹も減ったお昼12時を回る頃には姫路城を後にする。花見とは言っても我が家的には、花より団子、な側面が幅を利かせているのだ。ある意味、花見は一日を謳歌する為の口実と言っても言い過ぎではないだろう。お昼ご飯は決まって昔っから姫路の京口にあるラーメン屋さんで美味っている。朝から食べっ放しな気もするが腹が減るものは仕方無い。そこでいつものように高菜のお漬け物をお土産にした。小さな車内に漬物の香りが充満しながらも次なる目的地でもある姫路セントラルパークへ意気揚々行っちゃう。腹も満腹になり、動物観に行く、となれば子供達のテンションも最高潮。いつ着くん?、いつ着くん?、と交差点の度に何度も聞かれるのが微笑ましい感じだ。

20分ぐらい車を走らせて姫路セントラルパークに到着。まずは車の中から動物達を観覧する。赤い車だっただけに大きな動物達の逆鱗に触れて突進されるのではないか、とドキドキしながら動物達のダラダラを見る。車中ではひたすらワイワイ。カメラもパシャパシャ写しまくる。身近でライオンを見たりトラを見たり、と良い感じである。キリンの登場には家族一声、デカッ?!、と声が揃うぐらいに叫んでいた。草食動物ゾーンに入ってシマウマを見るや否や、白地に黒か、黒字に白か、というベタベタな疑問に対して身も蓋もない会話で大笑い。答えなんて出るはずもない。それからしばらくしてバッファローが出て来た途端に子供達が大声で、突進されるぅ〜〜〜!!、と叫ぶ始末。挙げ句の果てには眠っているカバを指差して末っ子が、○○○、と発言。さすがにそれは違うというコトを諭した。もう言いたい放題である。サイも登場して長女がいきなりサイに向かって、何歳なん?、笑いながら連呼。もちろん聞こえる訳もないし何歳かなんて知らない。サイに掛けるくだりでも笑えない問い掛けでも車内は大爆笑。大きな動物達を車の中から見れるのは本当に毎年恒例とは言えども子供達の反応がぜんぜん違う。世のパパが、本当に来てよかった!、と思う瞬間であるに違いない。

ようやく車での観覧ゾーンを終えて駐車。そして次は歩いて園内散策。ベビーカーを押しながらおんぶに抱っこを交えてトボトボ。熊を上から見下ろしたり鳥カゴの中に入ったり、追い掛けたり追い掛けられたりした。猿やシロクマの通りも興味本位でマジマジと覗いていると、キリンやゾウに餌を上げることの出来る場所が目に入り足早に向かった。我が家で言う、百十の王ゾウさん、に触れるコトが出来るのだから無理もない。そして、そこで思わぬショッキングが起きたのです。

鼻が伸びて餌をもらいにくるゾウさん。そのゾウさんに餌をやろうとして長男が手を差し伸べる。長男の手をスッポリと覆い被せて、わあ〜〜〜ん!、と叫び放心状態。ゾウさんの餌は一息に無くなってしまいました。そりゃそうだよな?!、と思いながらも再び餌を購入している最中・・・。人達の笑い声が一気に引き笑いとなっていました。観衆の中にはギャーギャー叫んでいた人もいました。一先ず餌を買って、何の騒ぎなんだ?!、と思いながら振り向いて驚愕。ゾウさんAの鼻がゾウさんBの*に入り込み、ゾウさんBの○○○をゾウさんAが美味?る。そして挙げ句の果てには、ゾウさんAの鼻で私達の餌を欲しがる。慌ててフェンスから長男を引き離そうとしたものの、その状況を知らない長男が、ゾウさんハイッ!!、時既に遅し。良くも悪くも無邪気である、という現実であるからこその衝撃が走りました。笑いながら驚きながら、とにかく必至で手荒い消毒を繰り返し、事無きを得た。

楽しい一日というのは本当に早いものだ。いろんなコトが有り過ぎて帰りの道中では、さすがに私以外の家族みんなが眠りこけていた。我が家にとっては年に一度の大きなイベントであり、年に一度の贅沢であるからこそ徹底的に遊びまくっていたのだろう。今日の出来事を通して私は、パパという役割を徹底的に果たすコトの大切さ、子供達に対して如何なる事でも五感で覚えさせる大切さ、日々仕事に没頭し悪戦苦闘に挑み続ける大切さ、という3つの大切さを学ぶコトの出来ました。大人になって親になって改めて分かったことがある。それは、仕事ばかりでいてはいけない、というコトだ。遊びからも仕事に繋がる良いヒントを獲得することが出来るのだ。視野を広げて何事も柔軟に捉えないといけない。

トツゲキ人生「機会」

これで、年内中に達成するんだ!、と熱く心に決めた3つの課題のウチ2つが無事に実現出来た。残された課題でもある精鋭部隊の構築については、自分が想像していたよりも遥かに大変であると気付き、そう易々と実現出来るものではない、と確信した。まぁ〜直ぐに実現出来なかったコトは残念ではあるが、今後とも着実に進めていけば自ずと道は開けるはずだ。自分を信じて行動を起こし続けるしかない。目標持って苦難に突き進む大切さを身を以て実感出来た事は1つの成果だし、今後も様々な課題を有言実行、無限実行に関わらず取り組むことにした。一先ずの結論をつけた矢先ではあったが早速、2010年は何をすべきか???、という課題を再び自問自答。そこでこれまでの反省を踏まえ考え編み出した。そこで思い付いた事が前々から小さな声でみんなの前で発言している、書籍を出版する、というコトだった。とにかく今書いている原稿に磨きを掛けよう!、と直ぐに改心し新しい要素を加えるべく自分の人生を書き綴ることを決めた。いつものようにパパッと頭が冴え渡る。和田成博という人間像を出来る限り注ぎ、多くの人達に知って頂きたかったからだ。

新たな気持ちで書き綴り始めた。まずヤルべき事は思い返すということだった。ところが不思議なもので思い返そうとすれば、何十年も前の事でも思い返せるのである。まだまだ自分の記憶力はイケてるかもしれない。最もインパクトのある中高時代が鮮明だったので、とりあえずそこから自然と進んでいった。書き出し続けると思いの外、手元の具合が良い。勢いも留まる事無く小学時代、大学時代へと続き、そして社会人に至るまで一気に書き抜くことが出来た。1つ1つ引き出しから出てくるようにして、次から次へと頭から湧いて出て来る。とは言っても来る日も来る日も、静かに黙々と書く、という作業というのは気が滅入る作業。少しでも工夫をするべく考えた。長続きさせる肝と言える。1つのブログを1つの原稿用紙と考えてテーマ毎に書き綴ることにしたのだ。これならば一石三鳥である。滞り無く記事を進めることが出来る。またその経過を日々ブログで公開することで多くの皆様がご覧頂ける。それに書き手にとっては行き詰まったり、悶々としたりもしない。皆様からの反応を頂けるからだ。書けば反応がある、というのは嬉しいものだ。

冬も終わり春先に差し掛かろうとていた時、それまで数ヶ月程度の期間を経て自分の学生時代を思い返しながら大凡、書き上げることに成功した。これまでの人生を振り返ってみて思う事は多くの反省ばかりだった。自慢にも良い学生時代を過ごしたとは言い難い。ましてや昔っから頭が冴え渡っていた訳でもない。今となって考えてみると自分のワガママを貫き通した結果にしか過ぎなかった事を改めて確信出来る。思う節はたくさんありながら感慨深く緊張感をもって書き綴れたこともあり、書き上げた途端、少し体調を崩してしまった。年齢を感じる一幕だ。毎日ブログ「はじめましてm( _ _ )m和田成博と申します!!」を文字に起こすことが出来たのだから止むを得ない。しかしながら、まだまだ完成形では無いにしても、これがキッカケとなって今も書き綴ることを継続している。その介もあって毎週月曜日に掲載しているトツゲキ人生へ繋げることが出来た。もしこの機会が無ければ、既に書き終え済みのトツゲキ人生シーズン1(社会人から家を手に入れるまで)や今も書き続けているトツゲキ人生シーズン2(家を手に入れてから会社を創るまで)という存在には決して及んでいなかっただろう。

トツゲキ人生「広告」

精鋭部隊を構築する、にあたっての求人募集なんて、そう簡単に上手い具合にいくはずもない。一先ず目指すべき目標を確固たるものにして、間髪入れずに次なる戦略へ打って出た。それは確か丁度、年末年始に差し掛かっていた寒い時期だっただろう。考え間もなく、モバイルページの構築、を株式会社ディフェンス様に無理を承知でお願いすることにした。そこでの談話では、モバイルページはホームページよりも遥かに大変である、ということだった。正にマジマジと思い知った。実のところ、その大変さ、を耳にして卒倒しそうになったが何とか耐え凌ぐことが出来た。一言で言うと絶句な内容。電話越しであったのも有り、沈黙が走った、のは誰もが手に取るように理解出来ただろう。資金は限られていた。モバイルページであるが故の考えの甘さが私の中には存在していたのだ。反省と恥ずかしさが入り交じる複雑な心境だ。けれども後に引く訳にはいかない。予算をフルオーバーしようが空っぽになろうが、今ヤルべき!、と決めた事は今ヤルべきなのだ。モバイルページの構築が幕を開けた。

戦略はこうだ。キャリアを絞る、ドキュメントページだけで画像を入れない、既存ホームページをベースにする。とりあえずコレだけでもモバイルページを構築することが出来るようだ。予算内では収まるはずが無かったが何とか捻出することが出来る状況でもあった。しばらくは自転車操業を覚悟した。実際に手元の体力が本当の本当に空っぽ状態となった。クリスマスやらお年玉やら、という騒ぎなんて言語道断。そんなコトを言っている場合ではなかった。ある種、賭け、と言っても過言ではなかっただろう。当時を振り返ると家族には1つも家族らしいコトをしてあげられなかったが止むを得ないことだ。株式会社ディフェンス様も無理を承知で引き受けて下さり、ガンバって頂いてるのだから自分も頑張らなくてはいけない。コレはむしろ必然。当たり前のコトだ。よしヤルぞ!、という気持ちがとにかく大きかった。

しばらくして株式会社ディフェンス様から、モバイルページの出来上がり報告を頂いた。一見させて頂き、本当にドキュメントページであることが分かった。けれども読み物大好きな私にとっては、そんなに違和感は無かった。さらに言うならば当初予定には無かった良い機能が付いているのに驚いた。ダイレクトに問い合わせが出来る、という策は素晴らしい。その他にもナルホド機能の充実度合いに脱帽。モバイルページだからこそ活かせる術が一様に確認出来た。「戻る」アクションは出来ないものの次から次へと見てみたいページに直ぐアクセス出来る。ホームページをベースにしたコトが上手い具合に重なり、今見たい今探す今連絡する、という連結が大きく役立てられていると瞬時に悟った。モバイルページであるからこそ出来ない事がある、とは言いつつも、その一面を調べるサイドの価値として生かしている。少ない予算にも関わらず尽力を果たして下さった株式会社ディフェンス様には大変、感謝している。受験塾家庭教師の「広告」という分野を全て任せようと心に誓った一瞬でもあった。とにかく満足以外の何モノでもない。

環境は整った。後は私が大きな柱にしていくだけだ。これで上手い具合にいけば株式会社ディフェンス様の御陰、万一上手い具合にいかなければ全て自分の責任。後は苦しみながらでも改善改良を果たしていくだけだった。これでホームページ、モバイルページ、タウンページという受験塾家庭教師の広告3本柱が仕上がった。今後もどんどん煮詰めていけば時間と共に周知されるに違いない、と確信した。そうなる為にも絶え間ない努力が必要であるのは百も承知だ。無論3本目の柱が完成した時点では既に4本目の柱、5本目の柱という構想を頭の中で張り巡らせていたのは言うまでも無いことだろう。

トツゲキ人生「精鋭」

商標登録の作戦が一先ず良い具合に整ったので、この調子で意気揚々と次なる作戦に手を入れる事とした。それは、プロ家庭教師で構成された精鋭部隊を創る、というものだ。プロ家庭教師というのは世間的に幅広く認知され各所方面で多数存在する、とは言えども、家庭教師という仕事そのものがシッカリとした職業として世の中にスンナリと受け入れられているのか、と言うとそうでもない。やはり今も昔も社会的ポジションとしては、非正規雇用、と考えられがちであるのは間違い無い実情なのだ。だからこそ甘く考えてこのような構想に着手してはならないと思っている。まずは家庭教師サイド、つまり休職?サイドの常識を覆す必要があると十分に理解出来ていた。家庭教師と言えば登録派遣、という根強さを払拭するところから始めなければならない。途方も無く、そして類い稀無い動きを本格的に始める必要があったのだ。一先ずその象徴を創るべくしてスタッフにある提案が実行に移された。これは正に一石三鳥である。

ちょっとオモシロい話があるんやけどぉ〜!!、『え?!、何ですか?!』、三田市のけやき台にマンションが建つみたいなんやけど買いに行かへんか?!、『ローソンでオニギリ買うんちゃいますよぉ〜ッ(笑)』、まぁ〜ええがな!!とりあえず見学会だけでも行ってみようやぁ〜ッ!!、・・・そしてそれから2、3週間が過ぎて・・・『和田さん!、審査オッケーでましたぁ〜(笑)』、やろぉ〜!!大丈夫やってぇ〜ッ!!、『アリガトウございます!!これからも頑張ります(笑)』。。。と、こんな会話からも想像頂ける通り、従業員による将来の展望、を導くことに成功したのである。正直言って内心ドキドキしていた。しかしながらコレで、個人事業主の従業員さんでも住処を持つことが出来る、と証明された訳だから受験塾家庭教師で仕事をする事を考えてもオッケーだろう。もちろん当の本人は今でも日々、仕事に充実した生活を過ごしている。家庭教師として給与所得者となり日々、生活をするうえで最高のモデルケースとなったに違いない。公私共に安定、という言葉が当てはまる状況だ。少し時間は掛かったが恐らく私達と働く魅力として、大きな存在意義を確立した、と言っても過言では無い。

この勢いで求人募集要項への作戦に手を差し伸べることにした。まずは3つの枠組みとして、正社員、準社員1、準社員2、というようにキチンと揃えた。そして各枠に応じて基本給を設定し、それぞれに応じた様々な待遇も設定。そして就業時間や内容も定めて1つ1つ暫定的ではあったが法令に従って決めていった。準社員1の求人詳細を創ってから正社員の求人詳細を創る。正社員の求人詳細を煮詰め直せば準社員1の求人詳細をさらに煮詰め直す。それらを元にして準社員2の詳細を創り出す。一様に整備も整ったので全ての詳細を比べて是正ポイントを見付け出し修正する。改善すれば双方共に確認して、一先ず万事オッケー、と結論付けてハローワークに相談を掛ける。そこで通らなければ持ち帰ってヤリ直す。そんなヤリトリが1ヶ月程度も続いた。時間の流れが嘘のように早かった事を覚えている。それでも何とか公開に踏み切ることが出来た。

いざ公開に踏み切っても結果は散々。連絡が全くこないのである。想定内ではあったがコレ程までに連絡が無いと、やはり凹む。確実に当ては外れていた。1件ぐらいはあるだろう?!、と甘んじていた。それが1件もこないのだ。とにかく無性で考えた。世の中にプロ家庭教師と言われる人材は五万といるはずなのに、なぜ連絡が無いのか?!、とにかく不思議で仕方無かった。原因は自分の手元にあると信じ込み、働き易い環境、を幾度となく整備したが全く変化が無い。そんなこんなの連続だった。だから、と言って挫ける事無く来る日も、来る日も改善に追われる毎日。これでもかぁ〜〜〜ッ?!、という具合に煮詰め直した。1ヶ月2ヶ月3ヶ月もの間、何も音沙汰が無ければさらに見つめ直す。そんな状況である。気の遠くなるような作業だけれどヤルしかなかった。確実に長丁場になる事を確信した年末であった。

トツゲキ人生「特許」

健康も抜群に約束されたことだし心置きなく仕事に励むことにした。そこで前々から気になっていた3つの課題を自分自身に打つけてみることにした。プロ家庭教師の精鋭部隊を創る、というコト。受験塾家庭教師の商標を獲得する、というコト。受験塾家庭教師モバイルサイトを立ち上げる、というコト。それも、年内中に目処をつけて全てヤリ遂げる、という目標を掲げてタイムラインの構築に勤しんだ。タイムリミットは6ヶ月。通常の業務を行いながら特別なコト、初めてなコトをするのは飛びっきり大変なことだ。けれども体が健康と分かると、どうしても自分の限界に挑戦したくなる。学生の頃から何にも変わっていない。すこぶる健康なので調子に乗ってしまっていたのだ。

最初に取り組んだ諸行としては「受験塾家庭教師」というワードの商標登録の申請である。これは一番大変そうなコトでもあったし、一番手の掛かるコトでもあったことは自分自身でも理解していたからだ。まるでピーマンを最初に食べる小学生のようだった。まずはネットで特許庁を検索、そしてホームページ上を隅から隅まで調べまくる。「役務」について、あまりよく分かんなかったので質問メールとして直接、特許庁へ送信した。もちろん送信後、直ぐに特許庁へ電話で連絡もした。あくまでもメールは電話で回答が得られなかった時の保険だ。これが私の用心深さである。

その内容は、役務を明記して申請する、というものだが特許庁に明記してある役務一覧には、家庭教師の云々みたいな事例が何処にも見当たらなかったのだ。けれどもそれに近い役務を見付けることが出来た。第四十一類の、学習塾における教授、予備校における教授、語学の教授、という部分である。家庭教師、という仕事が社会的一般的には役務として取り扱うには至らないという事には驚いた。家庭教師と言えば登録派遣、というのが主流であったから止むを得ないだろう。受験塾家庭教師のように雇用契約を結んだうえで家庭教師というサービスを提供する、というのは確かに希少。無くて当然。ならば懇願するしかない。このままでは商標登録を果たすことが出来なくなってしまう、という不安と心配が過ったのだ。正直、メールを打っている場合では無かったがタライ回しにされても嫌だったので先にメールを送信し、電話をした次第だ。

電話ではとにかくツベコベ言い過ぎるぐらいに言った。間違いなくうっとおしい感じだったに違いない。とにかく課長クラス以上の方に取り次いでもらいたかったからだ。その方が話が早い。電話口ではヒシヒシと迷惑そうにしていたのは理解出来たが、何とか代わってもらう事に成功。作戦的には上手いこといった、と思ったが考えは甘かった。自分のやっている事業を説明しながら役務を重ねていく作業なのだが、なかなか前へは進まない。第四十一類では重ならないし第35類の、職業の紹介、職業のあっせん、といった役務にも重ならない。自分の行っている事業にまつわる役努が存在しない、前例が無い、というのが現状なのだ。二進も三進もいかないので改めて電話をして頂ける事を約束して、そのタイミングを後にした。

それから3、4週間ぐらいが経ってから約束通り、その時の課長さんから連絡を頂いた。そこでの回答は、「既存の役務には存在しない」という事なのでこの度は第四十一類に該当するカタチで以て「家庭教師による学習指導」という役務で申請して下さい、というモノだった。それを聞いた瞬間、もう感無量。これで一歩先へ進んだ。一個人が特許庁へ連絡して存在しない役務を導き出し「受験塾家庭教師」という商標を登録するのだからコレ程にオモシロい事はない。序でに、学習塾における教授、を添えて申請することを心の中で決め、ドサクサ紛れに提出する為に楽チンな方法を教えてもらうことが出来た。問題が解決されれば以後、対応は光の速さ。申請なんてアッと言う間に完了。なけなしの小銭を全力投球させて一先ず万事オッケー。

トツゲキ人生「人間」

大きな障害を乗り越えて安心したのも束の間、安堵感から体調を崩してしまった。幸いにして熱は無かったものの風邪のような、アレルギーのような症状がしばらく続いた。期節の変わり目でもあったので毎年恒例の体調不良と軽く考えていたが結構、治るのに時間も掛かったので少し不安になった。健康にも気を遣わないといけない、と反省した一幕だ。比較的、マシにもなった丁度その時、手元にある1枚のハガキが届いた。それは人間ドックのお知らせだった。何の気にも留める事無く2、3週間デスクの上に放置、やはり気になる気持ちは拭えなかった。特に何処が悪いとかは無かったものの自分の今の事、将来の事を考える良いキッカケとなっていた。良い機会だから自分の健康を見直してみようか、と考え一念発起。そのハガキを機に人間ドックを受ける事にした。

人間ドックぐらいで大袈裟になる必要も無かったのだが何かにつけて、初めて、というのは緊張するものだ。予約をするべく病院へ連絡。そこで結構驚いた。実のところ予約状況が向こう1、2ヶ月は満員。スグに予約出来ない、というものだった。考えが甘かった。むしろ焦った。自分の知らないところで、こんなにも健康に気を遣う人達がいる、と知ったからだ。正しく衝撃的だった。人間ドックはそんなにメジャーなものなのか、と心の中で一人呟いていた。こうなったら居ても立ってもいられない。とにかく必至で懇願し1、2週間後に何とか予約を確保し事無きを得た。前日21時からは何も食べないで下さい!、当日来院する折はこの薬を飲んで下さい!、という2つの簡単な説明を受けて電話を後にした。それから3、4日程度でして病院からシラバスが届いた。ミスター小心者はコレだけでは終わらない。届くや否や即開封。人間ドックでは主に何をするのか?!、についてを徹底的に調べまくった。苦しくは無いのか?!、痛く無いのか?!、発狂してチンプンカンプンにならないのか?!、という各所様々な内容を無意識に調べまくっていた。そんな感じで内容物を一様に分析し、当日に向けての段取りを必死で完了させた。

日に日に近付いてくる人間ドック。そして2、3週間は早いもので人間ドック前日。21時からは200%飲まず食わず。もう本当に水しか飲んでいなかった。緊張に緊張が重なり夜も眠れずにいたので結局、仕事をしまくって朝を迎えた。人間ドックの日に徹夜である。何て不健康なんだ。とりあえず飲むように言われていた薬を朝ご飯感覚で飲み干す。無論、お腹が満腹になるはずもない。いろんな意味で落ち着かないので足早に車に乗り込み20分のドライブ。早々に病院へ到着し、受付を済ませて待合室にて待機。当日は自分を入れて4名の予約が入っているらしく、検査の順序がアベコベになる可能性がある、という事を示唆頂いた。そんな事は今の自分にとってどうでも良かった。実のところ内視鏡検査の存在がすこぶる大きかったからだ。例え、鼻から入れる、と言っても苦しいものは苦しいはずだ。声を大きくしても心の声は聞こえないだろう、とばかりに声を大にして心の中で叫んでいた。

内視鏡検査だけはどうか後回しに下さいますように!!、と心の底から懇願していたが健闘虚しく採血と尿検査の後スグに内視鏡検査が決まった。よりにも寄って25%の確率を引き入れてしまったのだ。こういう時、決まって分が悪いミスター小心者。私よりも先に受付を済ませたミスターチキンが、内視鏡検査を後回しにして欲しい、という要望を出し病院サイドはそれを快く聞き入れたからのようだ。もう何でやねん?!、というミスター小心者の心の声は聞き入れられる事もなく、淡々と採血と尿検査を済ませ、いよいよ内視鏡検査が開始された。検査室に通され横になる。そしてパッと見て目をそらす。生々しいぶっといラインを見付けたのだからミスター小心者には致し方ない。とりあえず無造作に横になったまま説明を聞き、言われるがままに薬を2度吸い込む。嘔吐かないようにする薬らしい。大丈夫な方は内視鏡を入れたまま喋れる、というが喋れる訳がない。そんな気の遠くなるような会話をしていると先生が登場。苦しく無いような姿勢やら呼吸やらをレクチャー頂きながら、いよいよ内視鏡に手を添える。目を閉じると恐いので目を開けたままで入れてもらうことにした。入っていく感覚がある。胃に空気を入れられるとゲップをしてしまいそうになるが耐えられる。それに自分の胃を画像でチェックしながら先生とも喋られる。これにはさすがの私も感動だった。想像していたよりも大丈夫なのだ。内視鏡を入れる時は必ずと言って良い程、鼻から入れる事をオススメしたい。これで何ら問題も無く内視鏡検査は終了した。

後はCT、MRIへと順調に検査は続いて全ての検査が終了した。内視鏡後の検査は正直言って余裕だった。気が付けば早いもので既にお昼前。検査結果が出るまで控え室で待機していると、お昼ご飯を用意してくれた。栄養士さんが作ったボリューム満点の健康食らしく、闘いの後の食事は格別に美味かった。お昼ご飯を食べ終わるとタイミングを見図ったようにスグ、担当の方が呼びに来てくれた。検査結果が出たようだ。診察室に通され先生からの診断が始まった。「お酒は飲みますか?」、もちろん飲まない部類。「タバコは吸いますか?」、120%吸わない。「コーヒーは?」、多いときで1日3杯程度。そして最後に、健康優良児だね!!、という言葉。その言葉にもう本当に安堵した。これからは年に1、2回の健康診断と3年に1回の人間ドックぐらいを考えて日々の生活に健康という二文字を刻んでいくことにした。

トツゲキ人生「厚生」

社会的な視点を少しずつ身に付けることが出来ていた。法人化への思惑を現実的なモノにするべく、まずはその第一歩として、実際に仕事を手伝ってくれているスタッフさんの将来を本気で担う為の歩みを進めることにした。家庭教師という業界は、一般的には登録派遣のような業態がほとんどであった。だからこそ経営サイドでは、雇用契約を結んでまで家庭教師を雇い入れるような真似は、ほとんどの会社で行っていなかった現状が存在していた。そこに来て私は、むしろそんな環境だかこそ厚生年金や健康保険にキチンと加入出来る環境を創ってやんないといけない、と沸々と涌き上がっていたのだ。決意も新たにとにかく厚生年金や健康保険に関わる各種機関を調べ上げて社会保険庁西宮事務所を発見。今で言うところの日本年金機構西宮事務所である。

働いてくれてるスタッフさんに厚生年金や健康保険を掛けてやりたいんです!、といつもの如く激しい第一声。藁をも掴む思いで社会保険庁西宮事務所(以下、西宮事務所)へ相談の電話を入れつつ訳も分からず跳んで行った。窓口担当者の方から業態やら所在地やら、幾つか簡単な質問を尋ねられて必要書類を説明してもらった。そして早速、基地へ戻って書類群達と戯れることにした。けれども実際、封を開けると悶々とした気持ちが拭えない。こんなに多くの種類の書面に記入していかないといけないからだ。ズブの素人の私では途方も無いこと。今でこそ当たり前なのだが社会保険労務士の方にお願いすれば、なんて事も無い実務であだろう。そう分かっていたものの、そこはやはり、時間は掛かるかもしれないが最初の最初は是非とも自分で味わってみたかったのだ。いつもの如く、再三に渡る程の電話の応酬。1日に4、5回は最低でも質問の為、西宮事務所へ電話していたに違いない。とは言えその介もあり何とか全ての書類をヤリ遂げて提出に繋げた。翌日、適用課の担当の方から連絡もらって幾つか訂正箇所を指摘されて訂正した。また改めて申請書の審査を行ってから書面で詳細を伝えます、という言葉を頂いてから3週間程経過していたある日。ようやく西宮事務所からA4の部厚い封書が届いていた。早速中を確認して手の震えが止まらなかった。期日と必要書類の諸々が明記してあったのだ。

調査日当日、朝から緊張していた事もあって1時間も早く到着してしまった。ましてや前日あんまり寝れなかった事を今でも覚えている。定刻10分前になり扉を開いてしばらく待った。けれどもスグに調査官2人が駆け寄ってきてくれて一先ず廊下でのご挨拶。都合の良い部屋を探すのだが当日は全ての会議室が埋まっていた。そこで止む無く雑用室で調査を始めることになった。我ながら丁度良い感じだったと言える。むしろ、その方が落ち着くのだ。幸いにもちょうど昼休憩で誰もいない。個人的に座れれば廊下の隅っこでも良かったのだが、そうはいかないみたいだ。会議室だろうろ雑用室だろうと何だって構わない。心境としては緊張感で頭がパンパン。調査の結果で適用するか否かが決まります!、という調査官の言葉が脳裏を巡る。3、4ヶ月もの間ではあったが「社会保険」というモノを独学で学んで身辺を整えてきた。それに適用されなければスタッフさんの将来性を担うことが出来ない。それでは示しが付かないのだ。

1人の調査官から様々な質問を受けた。「事業は何処で行っていますか?」、兵庫県南部ほぼ全域です。「許認可を受けていますか?」、いいえ受けていません。なぜなら登録派遣業ではないので派遣業には属さないからです。「どんな事業をしてるんですか?」、家庭教師業です。受験塾家庭教師のスタッフが受験塾家庭教師としての学習指導をお客様へお届けするサービスを業としています。 ですから家庭教師を派遣する事を業としているサービスではありません。「雇用契約が存在するということですか?」、はい存在します。「労災保険には加入していますか?」、はい加入しています。「雇用保険にも加入していますね?」、はい加入しています。「売上は手渡しですか?」、いいえ。ゆうちょ銀行へ入金してもらっています。「スタッフさんには給与として支給しているんですね?」、はい給与として支給しています。このような質問を突きつけられ、直視一丸となって身震いしながらも返答出来ました。正に切羽詰まった状態であるのは言うまでもないでしょう。にも関わらず調査はどんどん進んでいきます。次に書面の確認です。調査官の言われるがままに書面を目の前に出して確認してもらいました。「帳簿を見せて下さい!」、帳簿は無いので帳簿らしきモノを見せました。「日勤簿を見せて下さい!」、日勤簿も無いので日勤簿らしきものを見せました。「タイムカードを見せて下さい!」、直行直帰である事をキチンと説明し納得頂きました。「税務署への開業届を見せて下さい!」、これは手元に原本を準備していたので見せることが出来た。「労災保険と雇用保険の申請書を見せて下さい!」、これも準備していたので見せることが出来ました。「履歴書と雇用契約書を見せて下さい!」、これはパパッと2、3名のスタッフを確認して納得頂きました。

これで全ての調査も終わり、事前に提出していた申請書類を徐に取り出して端々を整え、1つ1つ力強く印を押す光景を目の当たりにしました。その時は頭もボヤ〜〜ッとして気が付きませんでしたが、この瞬間、個人事業主であり家庭教師業であるものの厚生年金と健康保険に加入することが出来た、というコトなのです。最後に調査官が、コレで受理します!、という一言。私は座っていたイスから崩れ落ちるようにして、しゃがみ込んでしまいました。調査官からも、大丈夫ですか?、という声掛けに涙ぐんで何とも言えない感謝の気持ちを伝えました。これでようやく厚生年金や健康保険に加入出来るようになったのです。