トツゲキ人生「修正」

東さん!!旭化成に決めたよッ、、、

もちろんだが他にも幾つか見回って吟味するのが妥当なのだろう。けれども、なるほどザ・ワールド、と昭和53年生まれ、モノコック構造、これらの要素が存在してあったので既に他を吟味する余地は無かった。住宅展示場に車を入れてわずか30分程度の出来事。決して失ってはいけないモノがあったからだ。それは、タイミングと時間そして人の信頼。今という時を大切にしているとリスクは必ずしも最小に抑えることが出来るし、そのうえ小さな効果を大きくさせられるチャンスも得られる。一石二鳥だ。インスピレーションが引き金となって少しずつ話が進んでいった。家を建てる場所は三田市の富士小学校の校区内。とは言っても建てる為に準備していた頭金なんて有る訳が無い。けれども、仕事は安定しつつあったので掻き集めれば何とかなる。誰が聞いても空っぽな自信だろう。そこで具体的な事をいろいろ話している内に1つの問題に打ち当たった。家の話を進めるにあたり最低でも100万円程度の準備金を揃えなければならないという事実。話の品質を高める為には止むを得ないことだろう。気が付けば親父から預かっていた部厚い封筒を目の前に出していた。無意識にもそのままハイッ。勝負をする気持ちで住宅展示場に臨んでいたのだから当然だろう。そこから空気は一新。話に深みを帯びていった。

早々に住宅ローンを組む話になって歯茎を噛み締めるような問題が浮上。それは私が個人事業主であるという社会的ポジションだからだ。個人事業主であるがゆえの諸事情を目には見えないところ、肌では感じれないところ、そういう様々な場面に存在していると実感した。不安になり過ぎて体が身震いしていたのは今でも鮮明。ローンの審査が通り難い、というのだから無理も無い。審査が通らなければ三田に住めない。そればかりでなく周囲の期待や子供達の成長に大きな問題を呈してしまう。住宅ローンの審査なんて簡単に通ると思っていた。甘かった。自分の甘さを誤摩化す為にも今の状況を精査。一般的な背景からして、都銀の審査は地方や信金よりも通り難い、という雰囲気が存在しているようだ。なので一先ず、都銀への審査申請を避けて地方銀行や信金への審査をお願いすることにした。練ったばかりの戦略で、いよいよ仮審査の申請に挑んだ。

審査中しばらく時間もあるというコトなので、申請後の結果に備えるべく打ち合わせで得ていた情報をモトに、私は私にしか出来ない事を徹底的に没頭することにした。それは車のローンの完済や税金未納の確認、修正申告に至るまでの対処だ。車のローンの完済は何とか有りっ丈のお札で片付けて税金未納が無いのも確認。財布の中身は殺風景であるコトを除いては、ここまでは良好。ただ難題に成り得そうになっていたのが修正申告。そんなのは1度もしたことがないからだ。満を持して全ての書類を持参して税務署へ赴く事を決意した。これが、どういう意味を表していたのかは、もちろん全て承知済みだった。もう漸進するしか道は残されていなかったので、気持ちを振り絞るしかない。もちろん、仮審査で結果オーライとなった訳でもない。結果が出てからでは遅いと感じていたし、自ずとヤルべきことならばヤルべきだ、と自負していたからだ。お金も無かったので日々、家から弁当持ちで税務署へ通った。その時の弁当は確かサランラップで巻いた梅干し入りのオニギリ2個だったように覚えている。この時ばかりはサラリーマンの気持ちが少し理解出来ていたように思う。唯一の休憩時間45分に税務署の駐車場脇で気分良くオニギリを食っていると当然のように変な目で見られてしまっていた。けれどもそんなコトはお構い無しだ。まぁ〜確かに変な目で見る気持ちも分かる。なぜなら間違いなく変だったからだ。税務署の休憩時間45分を除いては掛かり付けの担当者と睨めっこ。朝から夕方までの5、6時間程度も居座って勉強や相談に明け暮れて1週間程を費やした。大変、迷惑だったかもしれないが目からはビームが出ていたに違いない。もう本当に必死だったのだろう。大凡その介もあって3年分の申告を全て修正することが出来た。その後、見た事も無いぐらいの税金と並々成らぬ社会保険料の波が押し寄せてくることは覚悟が出来ていた。やらなければならないコトをやったので当然だし、これをやらないと前へは進めない。とうとう準備が整ったのだ。地位も名誉も金もない。手元に残されたのは時間とチャンスと猶予だけ。 タイムリミットは最早、切羽詰まった状態。とにかく仮審査でオッケーが出て欲しかった。何でも良いから成功して欲しかった。 <つづく>