広島大学、福山大学、戦略材料入手しました!!

広島大学と福山大学の大学関係書類が届きましたぁ〜☆小学校6年生からの御付き合いもいよいよ佳境を迎えようとしています(笑)これって何だか凄い事だと思いませんか!?お互いを信頼し7年間の頑張り☆それも、いよいよ大学受験に突入しようとしています。小学校のワンパクな時から知っているので、軽い兄弟のような感じですねぇ〜。。。

大学受験のスタンバイが始まってきましたし、7月初旬には様々な大学のオープンキャンパス、説明会、AO入試の模擬講義や面談等が始まります。こちらも気を引き締めて取り組まなければなりません。ちなみに私は、医学部医学科を保有する国公立の入試要項を頭の中に叩き込んでおります。

出だしが遅れると結論に大きな障害が発生しかねません。「そんな事ないやろう!?」という根拠無き考えが大学受験では、大きな失敗に繋がります。例えば、「国語が出来る」という発言に古文漢文が出来るというニュアンスは、含まれませんし、「出来る」というニュアンスも細分化させると「?」だったりしますので、要注意が必要です。早々に手を入れられるところは、手を入れて、様々な確認作業を行って、作戦を立ててやる事で、余裕が生まれます。少なくとも失敗は回避出来ます。絶対に固定観念に捕われてはいけません!!!

着実にやらなければいけない事に取り組む事が最も大切なんです。「校外模試で、よく出来るから、大丈夫だぁ〜☆」>>>大きな間違いです。100点満点のテストで、120点を確保する気持ち臨みましょう。

///さぁ〜ここからスタートだぁ〜!!受験塾家庭教師とともに歩む子供達が強い理由///

(1)2010 大学 入学試験 合格実績

(2)高校3年生!!AO入試と推薦入試で頑張れ>>>小論文+α=日本全国対象

(3)センター試験=傾斜配点で合格判定せよ!!

(4)小論文60,000字達成!!

(5)大学受験で必要な費用


特別な意味を持つ医学部合格☆「小さい頃の夢が叶う瞬間や!!」

わだぁ〜!!・・・アリガトウ。。。

それは、今だに忘れもしない。私立中学に合格した日からしばらくして食事に招かれるという機会を得た。その日は、私の生春巻きデビューの日にもなった。初めて出会ったのは、彼が小学6年生の中学受験直前4ヶ月前の確か10月下旬ぐらいだった。私は、算数を教える事となり、当時は、学習塾にも通っていたようだったが、そんなに重きに考えて学習塾には通っていなかったようにも覚えている。一先ず、中学受験という合否を抱える勉強を始めたのだから、結果はどうであれ最後まで受験を付き合っていきたいという親心が重なったからだ。

時が経つのも早いもので、4ヶ月という月日は、アッと、言う間にやってきた。試験当日、「とりあえず頑張ってくるわ!!」そう、言い残して受験に臨んた。そして、結果は、見事、合格!!今までにないぐらいに頭が回転して、スパァ〜ンという具合に取り組む事が出来たようだ。これで、もう言い残す事は、無いようだ。

見事に中学受験を合格で飾り、「落ちても良い」という気持ちもどこへやら、合格当日は、晴れ晴れとした顔つきで、その後の彼の人生に大きな影響を与えるとは、まだ知る由もなかった。当時の事は、鮮明に覚えている。本人は、母親の腕の中に包まれて、「アリガトウ!!」と発した言葉(笑)、、、今でも印象的に覚えている。1月の薄暗い夕方頃だったように覚えている。あまり寒くなかった事だろう。まだ、その時は、お子様だった。あの頃の事を今でも覚えているのは、私や親御様だけではないだろうか!?本人は照れくさそうに、「そんなん覚えてないわぁ〜!!」と言っているのだ。表情からしても、きっと覚えているに違いない(笑)

良い結果で、中学受験を終えて任務完了。そして、別れを告げた、、、

入学してからの最初の試験を終えたところだっただろうか!?中学1年の5月中旬に再び連絡が入った。数年間の中学受験の経緯もあり、勉強からは少し遠ざかりたいという気持ちを薄々と感じていたので、一先ず、数学だけの対応で学習指導を進めていく事となっていた。アップダウンはあるものの成績は、比較的安定していったのだ。

こんな感じで、1年ぐらいは普通に授業を行って定期考査でもそこそこ成績を残す日々を続ける事が出来た。そして、1年を過ぎた辺りの中学2年になったぐらいから英語が少しずつ、学校の進路から遠ざかってきているように本人が言っていた。それも中学2年1学期で幾何の問題を解いていた時にも関わらずだ。「身から出た錆」!?「泣きっ面に蜂」!?彼にとっては、幾何の問題がとにかく嫌いで、いつも余計な話に脱線する。ただ、この時ばかりは、脱線した話に誘導尋問というエッセンスが加えられていたので、ポロッと英語苦手発言が出て来てしまった。

「英語苦手」と「幾何嫌い」がコラボった瞬間だ!!この瞬間は、私にとってもオモシロい瞬間である。彼自身とにかく幾何(つまり、図形)という考え方は、大嫌いで、それは、最後の最後まで大嫌いだったようだ。ましてや、嫌いと勘違いするのも大好きなようだ。何でもカンでも嫌いと大いに言い放っていた。授業も少しずつ佳境に入ってきた段階で、「人間の精神状態がチンッ寸前までいくとどうなるのか!?」という質問に対する答えのような事態が起きた。

新中のいつもの問題集で早稲田実業の過去問をやりつつ最後の最後までときつつあったのだが、もう一歩というところで解いてしまうという寸前。座って、ペンを持ったまま、考えている最中に意識を失ってしまった。やはり、人間は、考えすぎると、意識が跳んでしまうようだ。「勉強のし過ぎで、気を失う!!」「勉強のし過ぎで、熱がでる!!」こんな信じ難い事が自分を含めて起こり得た。本当に勉強しているからこそ、考えられない事が起きる。固定観念や常識的な範囲で、考えてはいけない。枠の中でガンバルという事は、甘さに打ち勝っていない良い証拠。彼が、自分の限界を知った瞬間でありました。

こんな状況をあり、英語の授業も対応させて頂く事となった。とにかく状況は、思っていたよりも遥かに深刻で、「宿題は、どうなん!?」と言えば、「やってません(汗)」、「宿題をしてないなら、辞めてまえ!!」と、もうこんな会話のやりとりで、毎回授業中に宿題をやったり、やらなければいけない事をやったりしていた。

こんな口癖のような発言でも彼にとって大きな意味する一言であると理解する事が出来たのは、それから数日が経っての事だっただろう。それは、親御様からの一通のメールがキッカケだった。それは、「辞めてまえ!!」というのなら、「他に良いところを紹介しろ!!」という内容だった。確かにおっしゃる通りだ。この時ばかりは、私も目が覚めた。次に、「辞めてまえ!!」と思ったら、彼に度肝を抜かす程の対応で、接する事にしようと心に誓った。そうしないと、この子供の問題解決には、至らないからだ。私も大変、良い勉強になった。この考えは、今でも生き続けている。

そんなこんなで、「数字(成績)があまり芳しくない。」と言うコトで、家庭内がギスギスし始めていたのを今でも覚えている。ただ、何かがあったようで、私もよくは、知らないが、ある日、突然、学校の数字(成績)に対して、母は触らないようにしたというのだ。ご家族の中で何かがあった事については、反応しても言葉に出しては、何にも言わない方が良いと思ったので、未だに何があったかは、不明のままだ。そぉ〜っっっとしておいた方が良い場合もある。こういった時は、感覚的に判断して、行動に徹するべきだろう。

それから数学と英語をずぅ===っと、順調に対応させて頂いていた。彼も中学校を卒業するという微妙な時期に差し掛かった時、ご家族揃ってマンションに引っ越すという事になった。近々、「自宅を建て替える」という竣工式というものがあるらしい。その間、学校の近くのマンションに引っ越し、いつものように勉強する事となった。長い間、御付き合いさせて頂いていると生活環境にも大きな変化はつきものです。

その折に、いまでも覚忘れられない出来事がある。それは、英語の授業の話だ。仕事には、一切、手を抜かない私あのだが、1パートだけ文章を和訳英作せずに本人に任せてしまったところがある。それは、「戦争の話」の文章だった。今でもクラウンの教科書には、記載されているので、それを読む度に涙が出てくる。戦争の悲惨さが私の心の中に訴えてくる訳だ。後悔の念が込み上げてくる一文であります。

そんなこんなで、中高一貫という事もあり、形式的な卒業を無事に終えて、祝高校生!!オメデトウとばかりに喜砲をパンパンするが、かなりうるさかったので、2発目は、ひかえた。もちろん、写真を撮って事無きを得た。それから出来立てホヤホヤのお家にお伺いさせて頂いて、あれこれ質問させて頂いてオフィスを持つことへの夢が膨らんだ結果だ。良い影響を与えてもらったと思う。

高校1年が過ぎようとした高校2年生の4月頃だった。大学への進学について、事ある度に話をする機会が増えた。

和田 「どこの大学考えてるん?」

I君 「法学部や経済学部に興味があるから京都大学にいこうと思うねん」

和田 「ほんまか、高校2年生の時にでも1回は、大学を見に行っておかなアカンで!!」

I君 「わかった」、、、

>>>京都大学で開催されたオープンキャンパスに出席!!>>>

和田 「どうやった!?」

I君 「行ってきたよ、おもろかったわ(笑)」

ただ、私の中で、何かが引っ掛かるものがあった。中学入学当初は、将来の夢について、ハグラカされていたのだが、ポツポツとお医者さんという言葉が出てきては、消えていくを繰り返していた。それがいつしか言葉にすら出てこなくなり、おかしいと思った私は、あまり刺激を与える事なく聞いてみる事にした。

和田 「将来の夢ってほんまに京都大学へ進もうと考えてたんか!?」

相変わらず言い難そうにしているので、、、

和田 「何でもええから言うてみぃ〜!!何やねん???」

I君 「ほんまは医師になりたいねん」

高校2年生4月の面談で、学校サイドから「医学部受験には4年掛かる」という厳しい現実を通告されたようで、そんな大切な事を私に告げる事もなく、日々、授業が過ぎていたのだという。

和田 「何でそんな大切な事、言わへんのや?とりあえず、みんなで頑張ったらええやんけ!!」

そんな事に屈する事も無く、高2の5月から医学部合格に向けて、いよいよ本格的に歩み始めました。もちろんだが、当初は、医学部医学科への合格実績としては、私としても受験塾家庭教師としても、まだまだ薄かったので、私も覚悟を決めなければいけなかった。

もうそうなると、話はやりたい放題進んでいった。とにかく見えないモノがたくさんあったのだから、動き回るしかない。まずは、情報収集だ。実際、本人は、神戸大学医学部を目指していたのだ。とにかく聞き取り調査を経ることにする。調査の方法は、至って簡単、大学周辺に待機して、医学部医学科生と思われる人間に片っ端から路上アポイントメントをとる。確か50人を目処として、情報収集を行うこと2日程度でやり終える必要がった。期間を延ばせ延ばす程、相手に警戒心をもたれるからだ。この点では、学生達から様々な情報を手に入れる事ができた。勉強方法から始まり、学校生活、大学そのもの、教授陣の特色、卒業後の将来性、などなど雑談程度だから1人10分程度でいろいろ話を聴いてもらった。もちろん私1人だ。情報を調べるのに費用を請求する等というセコい真似はしない。次に教授陣のごく一部の方々に話をしてもらえる事が出来たので、幸い良かった。その時、ご協力頂いた教授、准教授の方々には、大変、有り難かった。これらの内容を精査して伝えることが出来た。

調べてみて思ったのが、医学部医学科という枠の中は、他学部とは、少し違った特色をもっている事を理解することが出来た。簡単に話をすると研究医色が比較的、他の大学と比べて強いという点、神戸大学であれば兵庫県を中心として、岡山大学であれば岡山を中心として散らばっている点、中国四国地方では、臨床医色が比較的強いという点、研究医と臨床医の区別化は主に学業環境と地域性によりけりである点、などの世間には出ない様々な情報を入手する事が出来た。さすがにこれらの内容は、学校の順位や模試の偏差値では判断し兼ねる部分だ。

それと現役合格者の割合が全合格者の割合の5%から20%程度のようだ。様々な要素が絡み合って各大学の現役合格社の割合は、まちまちだが、せいぜい20%程度考える事が無難だろう。他の80%は浪人生と言う訳だ。これは、恐ろしい話だが、模試の結果に浮いてこないではないか!?医学部浪人生恐るべし(汗)ただ、取り組む価値は、大いにある。

高校2年生の5月にして大きな取り組みが実施される事になった。もちろん5教科7科目への挑戦!!英語、数学、化学、に絞り込んでの対応。センター試験も個別前期も個別後期もいかなる対応も私が行う。ただ、物理だけは、ご本人の力を借りて、周囲の環境は、こちらでプロデュースするというものだ。もちろん、経費節約の為だ。いろいろ彼自身も考えているようなのが、涙ぐましい。
残すところ21ヶ月程度。。。

合格する事を考えるよりもまずは、先の見通し(合格しそうだという期待)を立てる事が先決だ。なぜならば、やらないといけない事が膨大にあるからだ。単純に考えてみよう。21ヶ月程度を7科目で割ってみて下さい。1科目に掛けられるのは、わずか、3ヶ月程度しかないんです。本来ならば、1科目10ヶ月ないしは、12ヶ月掛けるような内容を、たった3ヶ月で考えていかなければいけない。それにセンター試験や個別前期、個別後期を含めた考え方でなのです。もう背筋が凍るような思いであるのは、言うまでもありません。この段階で、「無理そうだから、、、」「彼には、出来ない、、、」とか、その場の感情で左右されていては、彼の幸せはなかっただろう。一切、そんな事には、触れずに黙々と邁進するだけです。

夏休み、冬休みを経て、いよいよAO入試一次試験に臨む時がやってきました。出願書類を滞りなく作成し、出願するまでは良かったのだが、2つだけ気になる部分がありました。それは、彼自身あまり体調が優れないという点と神戸大学サイドが研究医を欲している点だ。これらの2つの点が今後、彼の受験に大きな影響を与える事は、まだ誰も知る由もありませんでした。

この病気の内容は、多くは語れないので、彼の生活に支障が無い程度に留めておく事にします。彼は、小さい頃にある病気に掛かっており、現在もずぅ〜〜〜っと抱えたままでいます。つまり、ほとんど、一生治る見込みが無い病気を抱えているんです。しかし、当の本人は、ピンッピンッしています。言うなれば緩解状態!!医療系に携わる方々は、ご存知の方も多いと思われますが、そういう事なのです。この病気の事を隠した状態で受験に臨むか!?あるいは、突き進むか!?そこは、もちろん、私の生徒です。突き進みました。それも、胸を張って、、、当時の彼いわく、「仮に隠して合格しても6カ年やっていけるかと言えば、やってはいけるが、自分に納得いかないと思う。それやったら、ちゃんと正々堂々と臨んで、評価してもらいたい。それで、不合格であるならば致し方ない。大切なのは、受け入れてくれるか、どうかや!!どっちにしても絶対に医者になったるけどな。」それに加えて、神戸大学サイドが研究医を発している背景も裏付けはとれている。それでも、彼自身は、原則的には臨床医として6カ年を歩んでいく覚悟で受験に臨んだのだ。恐ろしい高3である(汗)

いよいよAO入試一次試験の合格がやってきた。。。もちろん3倍の枠は、見事にして合格!!後は、2つの問題をどう乗り切るかが、ポイントだ。けれども、彼自身、乗り切る気配は一向にない。自分を評価してもらうだけの一点張り(痛)もちろん、この件で、二次試験直前で、一悶着あったのは、事実だ。私は、何が何でも合格させてやりたいという気持ちが多い。だから、何でもする。何がどうこうしようと、「合格」という2文字を手に入れる為なら、人間的な感情さえ、ど返しする。しかし、それとは、逆に、彼は、「今回だけは、俺の好きなようにさせてくれ」と言う。もう、そんな葛藤のオンパレードだ。ちなみに、2人も姫路出身である。

AO入試は、二次試験が実施されて、試験終了後、連絡があった。やはり、思っていた通り、体調の事と研究医の事が題材に挙げられて質問攻めにあったようだ。想定内の状況に終始、和んだ面接だったようだが、そんな彼からの口から信じられない言葉でた。

「和田ごめん。アカンと思う。。。和田の言う通りやった。。。」

正に体が凍り付いた。あまり多くは語らなかったのだが、私の言う通りであればある程度の察しはつく。つまり、上記で挙げたような2点をつっこまれたという事だ。想定内の質疑だったにも関わらず、大学サイドにとって、適した応答ではなかったのだろう。恐らく、彼自身やりきってきたのだろう。この時から、だんだん神戸大学医学部医学科に対する将来的なビジョンと魅力感心が薄れていったのは確かだ。

AO入試二次試験も終えて、確固たる信念で一般入試を臨んで勉強しなければいけなくなった。ただ、本人に迷いがあるのは、6年も7年も付き合っていれば手に取るように分かる。何かがおかしい。神大AO受験前の情熱が、、、という感じだ。おかしい。このままでは、、、と、思ってしまう場面もあった。ただ、どんな状況でも時間だけは、過ぎていく。そうこうしている内にセンター試験がやってきた。

結果は、至って悪くなかった!!むしろ、思った通りの結果だったように思う。その得点率は、92%を確保☆つまり、大概の医学部医学科であらば、どこでも合格水準の土台に乗っかってくる点数である。もちろん、神戸大学医学部医学科の合格率(過去)を裕に超えていた。「心配し過ぎだったのかなぁ=!?」と不自然な感情に見舞われながら、個別前期を受ける事となった。と、その時、、、

本人「イチ浪は、有りやと思う。。。」

何を言い出すかと思ったら、さすがに驚いた。なぜならば、まだ個別前期を受験する前の事だったからだ。確かに個別前期一本掛けで、勝負に臨もうとしているから、特にイチ浪を考える事は、不自然な事ではない。自然な事だ。とにかく、ここまで来ておいて、考えられない発言なのだ。
和田「なんでや!?まだ終わってへんやんけ。受けてもないねんど。どないしたんや?」

本人「ほんまに神大でええかと思って、、、やっぱり、正直、引っ掛かってんねん。やりたい事とちゃう。」

この言葉、私の心の中にグサッと突き刺さる想いがあった。状況は違えども自分もそういった気持ちになって決断した。しかし、それは結果的には良い方向に進んでおり、今の自分があるからだ。自分の立場的なモノもあったので、この段階では、何も言えなかった。しかし、これは、相談すべき要素!!必ず家族と話すべき内容だったので、それを経たうえで、個別前期に臨んだのだ。

結果は、不合格。。。同時に、イチ浪決定。。。

私とっては、とても悔しさが残る結果だった。ただ、これは本人にとって前向きな方向性を導く結果であるという事を学んだ。神戸大学医学部医学科へのリベンジを果たす事と落ち着いて自分の方向性を見付けだす事を目的として、もう1年間だけ気合いを入れる事になった。3月に結果を告げられて、そして、5月が終わり、7月8月を経て、11月12月に至った。イチ浪の一年間を通して、大学説明会に幾度となく参加し、オープンキャンパスにも進んで参加した。様々な人達や先輩達と言葉を交わすうえで、一番、自分が進みたい方向性であると確信した。 そんなこんなで、神戸大学への気持ちが次第に愛媛大学へ気持ちが傾いていった。

「なぜ、愛媛大学?」

それは、母親の実家が近いという事と自分がやりたい将来性と一致しているという事が大きかったからだ。これが自分の将来性に大きな衝撃を与えてくれるのは、やはり、愛媛大学であるはずと最終的な確信に至った。センター試験直前の出来事だったが、焦りは一切無い。むしろ、腰を据えてじっくりと考えたうえでの結論だ。もちろん、迷いは一切無い。愛媛大学を個別前期で出願してしまうと神戸大学のリベンジを果たす事が出来なくなる。それでは、ダメ☆だから、神戸大学を前期で受験して、愛媛大学を後期で受験する事になった。何とも攻撃的な出願であるように思える。

ここまで来たとしても例え1回でも入学試験料金をケチりたいという気持ちは変わらない。イチ浪となるともう一方の方向性として考えなければいけない。その大学として挙がったのが同志社大学の商学部と経済学部への出願だ。もちろん、センター方式を活用する事での出願だ。一般入試には出願しない。

今年もセンター試験は、91%を超えた。さすがだ、、、と、言うよりも昨年に残念な結果を得たのが思いの他、納得出来ない。攻撃的な点数を獲得出来たので、昨年同様、気合いを入れていく事にする。そんな矢先の結果が出た。もちろんの事だが、同志社大学商学部へは、あっさりと合格した。けれども、合格してもぜんぜんパッとしない。そんな事もあろうかと、一応、念の為、経済学部にもセンター方式で出願しておいた。それは、出願するだけのメリットが大きくあったからだ。合格発表日が、神戸大学医学部医学科の合格発表の次の日だった事を考えると適切な配慮だろう。今回は、本命の愛媛大学への入試が後期日程で待機していたので、一応、念の為、罠を仕掛けておいた。

不合格、、、

これは、学力があったとか、無かったとか、そんな次元の話では収まらないような何か不自然な感覚がする。どうしても、頭に過るのが「病気を患っている。。。」と、言う点だ。治る病気ではないからなのか、どうかは、不明だが、とにかく不自然な感じがする。センター試験だけではなく、過去問でも過去10カ年以上に渡って、個別前期で80%超えを確保しているのだ。つまり、解けない問題、出来ない問題は、皆無。もちろんの事だが、今回も見直し査定を行ったところ8割以上を軽く超えていた。まさに合格圏内だ。

それにも関わらず、残念な結果(汗)私が抱える他の受講生は、センター86%確保で、個別8割スレスレ!!その状況でも合格しているのだから、そう考えても致し方ない。とにかく、どうも納得出来ない部分が多かった。ただ、やはり、合否判定には、センター、個別、面接、を総合評価して結果が出されると言われてしまえば、それまでなのだ。突きつけられた結果の悔しさよりも、むしろ、サラッと空かされたような結果に激しい悔しさを感じた。一概には、言えないが、今だに不自然な部分を感じている。とは、言っても結果は、結果だ。本命なる愛媛大学に照準を絞って情熱をフル稼働あるのみだった。

これだけでは無かった。恐らく同志社大学経済学部にも合格するだろう思っていた。普通、そう思うだろう。だって、センター試験で9割確保を成し遂げたのだ。傾斜配点を考えると、まさに合格圏内。ただ、ここでも甘い考え方があり、商学部への合格の際に入学手続きを行っていなかったのだ。その甘さゆえ、信じられない出来事が起きた。さらに追い打ちを掛けるかのように同志社大学経済学部から不合格通知なるモノがやってきたのだ。

目はテン・・・・

なぜ!?彼よりも点数の低い受講生がバンッバンッ、合格しているのに、なぜ!?。。。ここでも社会の厳しい風が吹き荒れているに違いない。私立なだけに、もう何が何でもな感じなのだろう。「制度として」捉える受験生よりも「信念として」捉える受験生を欲するのは、当然の事だろう。確かに彼の受け方や取り組み方では見え見えなのだ。

まさに悪夢・・・・

この段階で、どこの大学も合格していない。3月4日を過ぎた時期にも関わらず、どこの大学も合格していないのだ。この時期になると私立の後期日程ですら出願期間は、終了している心の拠り所一切無しって訳だ。残されたのは、本命の後期日程受験までの6日間程度しかない。この6日間に考えるコトは至って簡単な事だ。それは、落ちれば即2浪、あるいは、合格して大学に通うかだ。たったそれだけの事を考えれば良いのだ。まぁ〜そうは言っても考える必要なんてまるでないのだが・・・。無論、合格して愛媛大学に入学するのだ。

「ならば、何をしなければいけないのか?」

それは、勉強するのみ。これだけで合格する。簡単なことではないか(笑)本人いわく今まで以上に真剣に勉強したらしい。2浪は絶対、いけない。なのに2浪の風が吹いている。本人いわく「無我夢中で英語だけ勉強したわ。とにかく復習、復習の毎日やったで。」完全に切羽詰まった状態になった。そして、愛媛大学医学部医学科の正に運命の合格発表の日がやってきた。これは今まで一番心に残っている事だろう。彼との出会いに感謝しなければいけないことだ。

AM9:30頃に起床。今日は、小学校6年生からお世話になっているお客様の合格発表で、7年間6ヶ月の月日は早いもので、小学生だった本人は既に高校を卒業するぐらい大きく成長していました。ついでに私は、年齢を重ねていて、階段を駆け上がれなくなりつつありますが・・・。とにかく今日はかなりドキドキしていました。さて、朝の身支度も完了出来たので、パソコンを起動>>>前もってお気に入り登録していた愛媛大学の合格閲覧ページを開く。その瞬間・・・まだ、アップされていない。。。しばらく待つ。時計を見る。いよいよAM10:30頃になってきた・・・ページを繰り返し最新状態にアップする。すると・・・開いた。合格者番号一覧。・・・しばらく沈黙・・・とにかく番号を探す。。。「あった☆あったぁ~☆」 ※ 注意 ※ テンションが上がると無意識の内に2回叫んでるようです。

まさにこの瞬間、10数年前の自分の合格発表の時の感覚を思い出す。確認後、即対応の私。スグに本人の携帯電話に電話をする。・・・繋がらない。次にご両親の携帯電話にも電話する。・・・繋がらない。それでも繋がらないので、自宅に電話を入れてみた。・・・やはり繋がらない。。。やはり、繋がらない。一先ずお客様のご自宅に急ぐ。とにかく急ぐ。三田市ー姫路市間を45分程度で動けたのは、恐らく一生に何回かしかないだろう。合格発表を見て何度も不合格だったら、なかなか見れなくなるものらしい。確かに気持ちは、よく分かる。それでも私は、一切、躊躇せずに確認しまくっていたのだが、、、、。

ピンポン!!

和田「オハヨウございます。」

親御様「オハヨウ。見た???」

和田「見ましたよ。連絡が繋がらなかったので、確認しに来ましたが、やっぱり合格ですよね!?」

親御様「合格だよ(笑)」

和田「これで、お医者さんになれますね(笑)」

この間、興奮冷めやらぬ状況で、自分でも何を言っていたかをあまり覚えていないが、とにかく叫んでいました。

和田「朝御飯食べずに出てきたので、お腹ペコペコですぅ~(笑)」

親御様「マフィンしかないけど、食べる!?」

和田「アリガトウございます。是非、いただきます。」

そんなこんなで朝御飯をご馳走して頂き、大満腹☆☆☆

和田「ほんなら今から愛媛県行こか!?今日しか作られへん思い出作りにいこう!!」

この時点で、昼12時過ぎ。

兵庫県姫路市から愛媛県松山市に3時間30分程度を掛けて動く!!

和田「とりあえず愛媛大学医学部に寄ってから記念撮影して、本学に向かおかぁ~!?」

I君「ほんなら、そないしよ!!」

数時間後、愛媛大学医学部に到着。

和田「どこやろなぁ~!?あ、あれや!!」

I君「合格発表ってな感じやないけど、自分の合格を実感してきたわ(笑)」

次に本学に寄ってから記念撮影となりました。高速道路は、事故の為、通行止めとなっていましたので、一般道路で向かいました。向かうこと30分程度、愛媛県の市街地を横目に目的地の愛媛大学本学に向かいました。

本学、到着。

入り口の受付で写真を撮ろうとした時でした。

学生「撮りましょうか?」

後ろから声を掛けてくれたのは、ここの学生さんではありませんか!?

本人「あ、すいません m(_ _)m 宜しくお願いします。」

先生「めちゃめちゃ、ええ人達やな(笑)」

本人「そりゃぁ~絶対に県民性やで!!見習わなアカンわ」

先生「ほんまやで!!」

それから、写真も撮り終えたので、思い出作りはまだまだ続く・・・。

先生「せっかく松山に来たんやから道後温泉でもはいって帰ろか!!」

本人「そないしよ」

って、事で、ちゃっかり温泉に入ることになった。もちろん、近くの大衆浴場にいった訳で・・・かなりユックリと温まりました。帰りには、お土産を手にして、家路に向かったのでした。

愛媛県>>3時間30分>>兵庫県 姫路市

本人「晩御飯は、どこで食べる!?」

先生「ラーメン屋さんでええか?」

本人「うん!!ええで」

授業合間の休憩時間のように喋りながらご飯を食べる。

先生「もう数分で、お別れやな。。。まぁっ、それでもまた帰ってきた時にでも連絡ちょうだい」

本人「うん。また連絡するわ!!」

店を出て、数分後、家に到着。ご両親の方々が出迎えてくれました。

両親「積もる話もいっぱいしたやろ!?ほんまにアリガトウ」

本人「アリガトウ」

先生「こちらこそ、今まで本当にアリガトウございました。」

鬼の目にも涙・・・喜び、寂しさ、感謝の気持ち、言葉には言い表せない感情が心を突く。小学4ヶ月間、中学3年間、高校3年間、浪人1年間。家庭教師としてお付き合いさせて頂いた期間は、7年4ヶ月。泣いたり、笑ったり、ケンカしたり、、、いっぱいいろんな事がありました。

実質的に医学部を目指して、34ヶ月間。ほんまによく辛抱した。ご苦労さん!!

そして、それから2、3ヶ月したぐらいにI君本人から連絡をもらった。連絡してくる時は、たいてい私に自慢話をしてくる時か、何とかならないか話をしてくる時ぐらいなものだと相場は決まっている。メールアドレスの変更すら送ってくれていなかった事を考えると、学生生活がよっぽど楽しいんだろう。本当 に嬉しい限りだ。内容というのは、個別試験の成績開示があり、早々に自慢をしたかったようで、連絡するや否や「とにかく見てくれ!!」と言うものであった。仕方が無いので、仕事の手を休めて、確認すると、、、

「おっ!?面接結果が満点ですやん。」

思わず言葉が出てしまった。センター試験の結果が、満点って言うのは、特にそう珍しい話ではないのだが、面接満点ってのは、さすがに珍しい!!大学サイドから「100%うちに来てくれ!!」ってな感じの意思表示を頂いたような気持ちになる。「こちらこそ宜しくお願い致します!!」というような、まさにこんな気分になる。

高校2年生の5月から医学部医学科への挑戦を決意し、受験勉強を始動!!いよいよ受験直前に入り志望校を受験したものの残念な結果に終わる。そして、リベンジを兼ねて一年間の浪人を経て、愛媛大学医学部に見事、合格しました。彼は、これで、ようやくお医者さんになれちゃいます。途中、想定外な事は、たくさんありましたが、しっかりと乗り越える事が出来ました。人生何十年の内のたった34ヶ月の辛抱。その辛抱と御両親の支えが家族みんなの夢を引き入れました。小学校2年生からの夢が叶って本当に良かったです。彼は、自分のやりたい事を全部やって、納得して、満足して、私から卒業していきました。

受験塾家庭教師ツイッター:http://twitter.com/jyukenjyuku

 

「僕。鳥取大学で十分っすよ(笑)!!」

皆様方のおかげで、受験塾家庭教師では医学部医学科への現役合格の可能性を志すにあたり、特に珍 しい話ではなくなってきています!ただ、出来る事なら少なくとも1年生の夏ぐらいからお話を頂いた方がゆっくりと勉学に励む事が出来ます。また、本格的に始めるのは、高校2年生のゴールデンウィークぐらいからをオススメしています。そのままの勢いで夏休みまで到達出来ます!!

我々は、近年、一般的に不可能と思われ内容や常識を逸脱した取り組みに対して前向きに取り組ませて頂きました。ただ、これは、お客様のご理解とご納得、そして、信頼という大きな想いがあってこそであります。発言力こそが素晴らしい力となりえますので、そのまま諦める事なく、一先ず御相談頂ければ幸いです。きっと良いお話が出来るはずです。

僕。鳥取大学で十分っすよ(笑)!!だって、医学部医学科へ入って、医師国家試験に合格したらお医者さんになれるんでしょ!?ぜんぜ ん問題ありませんやん。僕の夢は、お医者さんになる事で、有名な大学や頭の良い大学へ入る事やないんですもん。だから、僕を受け入れてくれる大学で、国公立であれば、十分なんです。お医者さんになれる可能性が近い方を目指さない方が損ですよ。」

この言葉、高校1年生なんです。何だか凄いでしょ(笑)!?ちなみに和田成博の悪影響(?)を受 けて、早いもので3年程度が経とうとしています。。。それは、忘れもしない無料体験の時でした。お医者さんを目指いているというプライドの固まり君が、本質をクリアーにし、夢と希望の固まり君となった瞬間でした☆☆☆

和田「コレとコレを使って、ここから何が分かるか教えてくれ!?」

それから数分後、、、、、

A君「・・・・うぅ〜ん。」

和田「ほんならこの2つの材料をこうやって使って、出してみてん!?」

A君「ちょっと、待って下さい・・・・」

それから、数分後、、、、、

A君「すいません。分かりませんm( _ _ )m・・・・教えて下さい。」

和田「えっ!?そんなん絶対に言わへんよ!!何にも進んでないもん。進んだら、1つだけ、手掛かりを教えてあげよう。」

A君「え!?分かりました。進めてみます。」

それから、数分後、、、、

A君「とりあえず、ここまで分かるんですが・・・・」

和田「おっ!?ええやんかぁ〜(笑)ほんなら約束通り、ヒントを教えてあげよう。まずは、消しゴムを筆箱にしまって、そこらへんを見渡してみぃ=ほんなら、分かるわ!!!」

A君「・・・・・あっ!?分かりました。そういう事だったんですね。」

和田「そうや。出来たやん(笑)オメデトウ!!ところで、将来、何になりたいのん?」

A君「お医者さんなんです。なれますかねぇ〜!?」

和田「医者だろうが、何だろうが頑張ったら、なれるし、頑張らへんかったらなられへん。それだけの事や!!軽く考えて、全力で取り組んだらええねん!!」

☆☆☆夢を叶える大作戦☆☆☆

学習指導プロセス>>>

(1)推薦入試:評定平均値Aが必要です!!もちろん確保すべく得策は持ち得ていますが、さすがに具体的内容は、・・・・です。ただ、学生本人と親御様、そして、学校サイドの配慮を一致させなければいけないとだけは、言えます。時とタイミングによって、そのチャンスを逃してしまう可能性もありますので、大変、注意が必要です。

面接:自己発信能力を育成します。突発的な内容でも自分で考え、言葉として発する事が出来るような人間力を育てる事が狙いです。

センター試験:受験塾家庭教師のスタッフ2人で、90%以上の得点率を目指します。「あぁ〜っ!!数学、英語だけじゃないくて、化学や生物でも満点とらせてぇ===っ(笑)」と、言う気持ちで取り組んでおります。

調査書:学校サイドへの協力要請

推薦書:学校サイドへの協力要請

動機書:(合格者の内容構成)×(受験塾家庭教師の論文大作戦!!)

(2)センター試験
国語12、数学12AB、地理B、化学1、生物1、英語12

(3)一般個別(前期)
英語12、数学123ABC、面接

(4)一般個別(後期)
面接

担当家庭教師については>>>

・・・・ 講師:英語、国語(現代文、古文漢文)、センター各種、鳥取大学赤本、論文大作戦

和田成博 講師:数学(123ABC)、生物1、化学1、地理B、センター各種、鳥取大学赤本、面接

 

実は、公務員試験や就職試験にも対応出来るんです!!

ご存知の方々も少ないと思いますが、受験塾家庭教師では、現役高校生達や現役大学生達、そして、一般社会人の方々や就職浪人でお困りの方々を対象にした就職支援サービス(仮)を実施しております。公務員であろうと、一般企業であろうと、上場企業であろうと、様々な職種に対応出来るべく、日々の勉強と情報収集に没頭しております。

「なぜ、そういった事を始めたのか?」

キッカケは、これまた単純です。受験塾家庭教師で頑張ってきた子供達は、中学校を卒業してから、高校からも学習指導を継続される子供達が多いのが現状です。そして、自分の志に赴くべき方向性の大学に進学していきます。普通ならば、そういった御付き合いもそこでストップなのですが、やはり、人間が生きていくうえで、一番大切な時期に様々な影響を与え合うと起こるべくして起こる事実も少なからずあったりします。

A君 「先生!!お久し振りです。」

和田 「おっ!!久し振りやね(笑)どうしたの!?連絡が無いところをみるとご機嫌に大学生活を謳歌していたんだね(笑)」

A君 「おかげ様で、楽しいっす!!ただ、いやぁ〜ちょっと、相談がありまして、、、」

和田 「えっ!?何???俺に出来る事なら何でも言ってよ。力になるよ(笑)」

A君 「消防士の公務員試験を受けようと思うんです。。。」

和田 「おっ!?ええやんかぁ〜☆」

A君 「いやぁ〜!!そのぉ〜。。。汗」

和田 「水クサいなぁ〜!!小学生の時から知ってるモンどうしやねんから、言うてみぃ〜やぁ〜!!」

A君 「何も知らない事なかりで、、、汗」

和田 「なんや、そんな事かいなぁ〜!?任せとけ(笑)ほんなら、一緒に頑張ってみよかぁ===なんだか、高校受験の時を思い出すなぁ〜」

A君 「また、気合い入れたって下さい(笑)」

和田 「もう、社会人として、扱うから大丈夫やで!!」

A君 「宜しくお願いします!!なんか嬉しくなってきましたわぁ〜(嬉)」

と、まぁ=こんな御相談が少なからずとも年に数十件程度以上は、あります。公務員から一般企業や上場企業に至るまでの就職等の様々な御面倒な取り組みを御相談に沿って受け付けたりしています。こんな感じで、いつまでも頼りにされる事は、有り難い話ですねぇ〜(笑)。。。彼等にとっては、一応、私を社会人として、認めているようです!!

そこから少しずつ一部の地域で、評判が評判を呼び、様々な相談を受けるようになりました。そして、様々な企業への就職や、公務員試験への合格を導いて来られた訳です。特に受験塾家庭教師として、承り、レクチャー活動を行ってきた訳ではないので、具体的な成果は、覚えていませんが、少なくとも数十人以上の卒業生達を世に導いております。

ご相談を承り続ける事で思ったのが、公務員試験受験者にとっては、「一般教養と小論文に大きな壁を感じる事」、「面接と志望動機で様々なな疑問を感じる事」等のこれらの不安を抱えています。また、一般企業への就職活動者にとっては、「何事においても手探り状態であるという事」、「藁をもすがる思いが前に出過ぎてしまうという事」等のこれらの不安を抱えています。

受験塾家庭教師では、そういった御相談を承りさせて頂いて、改善策をご提案し、多くの皆様に自信をもって取り組んでもらう為にも受験塾家庭教師が皆様方のお役に立っていこうと考えました!!!困った事があれば何でも御相談頂ければ幸いです。

「何をどうするのか?」

まずは、御相談からスタートです。皆様方の心の底に眠っている様々な内容をお伺いします。次にその内容と「対、公務員」「対、企業」に分けてしっかり「やらなければいけない事」「やる必要性がある事」「スムーズに取り組めむ為の方法」等の対策案をご提案させて頂きます。具体的には、企業調査、イメージ作り、志望動機、面接、一般教養、プレゼン、ディベート、体力審査、タイム・スケジュール計画、等の対策をご提案させて頂きます。

さぁ〜って、姫路市のK.Hさぁ〜ん☆9月下旬に向けて頑張っていきましょうか(笑)!!!

小論文60,000字達成!!

400字詰め原稿用紙にして、とりあえず150枚を1ヶ月間の作戦により書ききったようです(笑)

そうそう!!「それぐらいなら書けるよぉ〜。。。」って書いた事も無いのに言うのは、アウトォ〜!!

やった事があって始めて発言出来る内容です。ええぇ〜ちなみに私は、390,000字を編集中です。

ご本人いわく「もう無理(泣)」<===なんて情けない言葉なんでしょうか!?

あまりにも情けな過ぎるので、笑いが止まりませんねぇ〜(爆)

当初、目指していた目標は、100,000字なんですからぁ=

それを考えると雀の涙程度ではありませんかぁ〜!!

60,000字ってぇ〜、本当に中途半端です(汗)

出来る事なら半分は、書ききらせようと企んでいます。

せめて、80,000字はいかないとぉ〜!!まぁ=高校生にしては、上等でしょうか!???

兵庫県立大学看護学部を目指していらっしゃる学生さん達ぃ〜!!

こんな受験生がいらっしゃいますから、気をつけて下さいねぇ〜☆

受験生の皆さん!!負けず劣らず、気合いを入れて最後の最後まで踏ん張って下さいよぉ〜(笑)

ちなみに面接の質疑応答は750案件を越えております☆

まぁ〜志望大学の事なら何を聞かれても答える事が出来るでしょう(笑)

何事にも本気でやってるとオモシロくてたまりません☆

なぜなら、何をやっても負ける気がしません。。。。。

大学受験推薦入試の受験生様!!お疲れ様です☆

大学受験の推薦入試も少しずつ落ち着いてきている!!それと同時に、受験塾家庭教師としても、少しずつ落ち着いてきている。まぁ〜それでも「嵐の前の静けさ」といったところだろうか!?来年1月には、センター試験と、中学入試、がやってくるワケなのだから(笑)

国公立大学の推薦入試受験生達の中には、11月12月の段階で、合格を手に入れて、毎日幸せなぐらい良い調子で、ダラダラ過ごしている元受講生達が多く存在する。まぁ〜でも、当然だろう。彼らは、家族を巻き込んで、様々なリスクを負い、覚悟を決めて、取り組んできたのだから当たり前の話だ。私は、合格した受講生の皆には、胸を張ってダラダラするべきだと告げている(笑)

。。。そして、感じてもらいたいコトがある!!

後数ヶ月もすれば、家族と離ればなれで過ごさなければならないという事実を!!自分を産んでくれた両親への感謝の気持ちを言葉に言い表すのは、確かに難しいだろう。だから、せめて、家族との会話を大切にしてもらいたい。大学4年間だけの離ればなれでは済まない。恐らくそれ以上、離ればなれになってしまう可能性がある。受講生達は、少なくとも母親の気持ちを察して、子供として接してもらいたい。

これは、受験前にあるお客様から頂いたご質問に対して回答として、お願いさせて頂いたメールのやり取りです。///確か、その質問は、「受験について何か出来る事はありませんか?」というようなご質問だったように思います。その回答として、以下の内容をお伝えさせて頂きました。

ただ、お願いしたい事が、1つあります。それは、面接の練習よりもご家族との会話の回数を増やして頂きたいのです!!それも普段通りに!!合格すれば彼女は、向こう4年間ないしは、6年間、ましてやそれ以上、ご家族と離れてしまいます。そんなに遠くないといっても、彼女と共にご飯を食べる機会や笑う機会が少なくなるのは、紛れも無い事実です。お互いに寂しい気持ちにならないようにする為にも会話をいっぱいしてもらいたいです。逆立ちをしても私には、絶対に無理なことです。ご家族の方々にしか出来ないコトをして頂ければ幸いです。

こちらのお客様は、9月12日の段階で現実を目の当たりにし、完全お任せ対策を経て、その結果、見事に合格されました(笑)そのお心遣いがコチラです。なかなか口にする事が出来ない一品☆大好物の登場に家族は大騒ぎです(笑)

 

中学受験生・諸君☆『受験塾家庭教師』どう!???

知る人ぞ知る対策=その名も受験塾家庭教師の『中学受験〜希望への道〜』

原則的に学習塾及び習い事併用を一切認めていない対策で、なおかつ、私、個人的によく知るお客様や弊社のお得意様からのご紹介で実らせて頂いたお客様に対する副産物的な対策!!

その副産物的な対策も5年間取り組んできて、誰1人として不合格になった受講生はいらっしゃいません。これは、大変、喜ばしい事であり、かつ、光栄な事であります。一先ず、副産物的な対策としては、十分な結果と言えるでしょう。

『なぜ、副産物的な対策なのか???』

気になりますねぇ〜(笑)それは、至って簡単な話なんです☆

対策に参加されていらっしゃるお客様は、私立中学へ進学されても、以後、継続して学習指導を受講しようというお考えがあります。受験塾家庭教師としては、大変、有り難いお話なので、現状のお客様には、言葉では言い表せない程、大変、感謝致しております。正直、申しまして実は、100%のお客様がそうなんです。

お分かり頂けたと思いますが、副産物的な対策を受講されているお客様達は、皆様、口を揃えて同じようなお言葉を発して頂いております。

※この内容は、本当に、感謝すべき有り難いお言葉ですので、いつも心に熱くコミ上げるモノがあります。※

お客様代表『中学受験の結果が合格でも不合格でも、先生が来てくれるなら何でも良いよ。だから、先生!!大学受験までうちの子を決して見捨てないで下さいね(笑)』

和田   『もちろんです!!高校受験でも、大学受験でも、医学部受験でも、何でもコイ!!ですから大丈夫です。是非、お任せ下さい。お客様の求めるガンバリなら我々スタッフの右に出る家庭教師は、いないと自負しています。』

私を含めて、受験塾家庭教師の講師スタッフは、灘、甲陽、六甲、白陵、岡山白陵、淳心、須磨学園、関学、滝川学園、三田学園、神戸女学院、武庫川女子、親和、等の数々の私立へ入学させ、現状でも在校生として中学生1、2年から高校2、3年生に至るまで、中学受験を共に歩んできた子供達に対して学習指導を行っている現状があります!!

私立中学校高等学校の6年間の実情を知り、公立中学生達の高校受検までの実情と受験後、高校3年間の実情を知り、そして、各所の学校サイドの対応と取り組み、発言の信憑性を知り得たうえで、受験塾家庭教師の講師スタッフは、全力を尽くしてお客様の大満足を追求致しております!!

また、医学部医学科へ合格させる努力と偏差値26の水準を大成させる努力は、紙一重という考えを導き出しました!!それぞれの子供達がそれぞれに全力を尽くすという点では、みん な同じです。頭が良いとか、良くないとか、などと言うのは一切関係無くて、みんながみんなそれぞれに努力した結果を評価すべきです。

つまり、このような学習指導スキル(私1人でここまで対応可能)を有する家庭教師の集まりだからこそ私立中学校高等学校に対してお客様が求める進学率は、受験塾家庭教師にも十分にあるというワケです。

偏差値26から偏差値82まで対応可能!!幼稚園児(小学予習、小学受験対策、他)、小学生(算数、理科、中学受験対策、他)、中学生(数学、理科、社会、英語、作文、面接、高校受験、他)、高校生(数学123ABC、化学12、生物12、英語12、現代社会、政治経済、小論文、面接、センター試験満点対策、国公立医学部対策、東京阪神対策、他)、100%進学相談。これは、さすがに特殊な内容ですが、国公立医学部医学科への合格は、ここ2、3年で30余名の実績を挙げております!!

これからも受験塾家庭教師は、お客様の夢や希望に現実というエッセンスを加えて、お客様にとって一番、近道となるプロセスをご提案させて頂いております。

☆お客様の大満足は、受験塾家庭教師の誇りでもあります☆


「小学生のみんな☆お医者さんになろう!!」

私は、優秀なスタッフとともにここ3年で、現役・一浪を含めた30名以上の医学部医学科受験生の合格家庭教師として関わってきました!!

つまり、ご縁あって、「将来は、お医者さんになりたい!!」という希望を持つ学生達は、1人残らず医師の道を歩ませているワケです。(笑)小学生だろうと、中学生だろうと、文系だろうと、公立の学生だろうと、学校が導いた経験がなかろうと、受験まで後2年だろうと、1年だろうと、「なりたい!!」という希望を現実のものしています。思い返してみれば、そんなに難しいものでもないように思うんですねぇ〜(笑)。。。ただ、単純な話!!つまり、こういう事なのだ。

(((「ご本人の努力」+「親御様の支え」+「受験塾家庭教師」=「合格」)))

この中で、何が掛けてもいけません。医学部医学科受験は、役割分担をしっかり行い、それぞれがそれぞれの役割を果たすうえで、自ずと合格に繋がるように考えております。もちろん!!ただ、我々の作戦は、常識の枠を遥かに越えており、誰もが考える事をしない作戦を提唱させて頂いたりもします。

シンプルに言えばこのような感じです!!>>>①対浪人生対策、②AO入試対策、③推薦入試対策、④センター対策、⑤個別前期、⑥個別後期、⑦大学調査対対策

※ ご本人の学力や志望校、出願ケース、そして、ご予算に応じて、作戦を練り上げていきます。とにかく細かいですよぉ〜(笑)☆まぁ〜1つ言えるとすれば、推薦&AO対策では、自分が受験生になり、センター試験や面接では、満点を取りに掛かります!!

とにかく全力を尽くすだけです!!

ちなみに、「医学部医学科受験生対策」と「留年・退学水準の学力向上対策」というのは、学習指導に携わる観点から言うと、実は、紙一重な部分があります。

小論文対策=400字詰め原稿用紙43枚(17200字)

正常な生徒 「先生!!後1ヶ月で、どれぐらい書くもんですか?」

おかしい先生「15000字から20000字ぐらいは書くんじゃないかな!?」

正常な生徒 「・・・・・(汗)」

早急な対応が必要だったお客様であった事もあり、一ヶ月後に書き終えた字数は、17200字(400字詰め原稿用紙にして43枚)。。。一ヶ月ぐらいの論文対策として考えると弊社では、若干、少ないような気もします。しかし、何とか、カリキュラムを全てやりこなす事も出来ましたし、良い傾向に到達しているのを確認出来ましたので、論文と名の付く入試には、十分対応出来るでしょう。

さて、ここで言う良い傾向とは、、、気になりますよねぇ〜!!

(1) 書くべき時に「書ける集中力」が養われ、論文(初見)に対して400字詰め原稿用紙を20分程度で書けるようになりました。

(2)内容事態に客観性を適用させ、筋道を立てつつ、出題者の意図を捉えて自由に自分の意見を文章で表現出来るようになりました。

(3)毎週、論文の課題を成し遂げる事で、医学、福祉、環境、政治、経済、地域などの様々な知識に幅を持たせる事が出来ました。

受験塾家庭教師の論文対策は、志望校や状況、それぞれの場合にもよるのですが、一週間に1時間ないしは1時間30分程度の学習指導時間を適用すれば、受験対応レベルには到達します。ただ、15000字から20000字程度の文章を書いてもらう事になるでしょう。

出願手続の手引きについては、受験塾家庭教師にお任せ!!

出願手続きの手引き作業については、無料でほとんど対応させて頂いております。ただし、志望動機や自己推薦書、そして、パーソナリティー等の書面の作成については、本人直筆ですので、決して手を出す事はありません。その為、受験生本人がいかに「表現する方法」を学ぶかが、大きな課題となってまいります。

そのような課題を解決すべく受験塾家庭教師では、論文面接対策として、「論文の基本的な書き方」、「文章における意思表示の方法」、「ワードと言う名のスキル習得」、「面接試験で100点を目指す秘訣」など、お客様にご満足頂ける様々な対応内容をご用意致しております。多大な時間の節約と安心感を手に入れる事が出来ますので、センター試験対策や個別試験対策に没頭する事が出来るでしょう!!