トツゲキ人生「紹介」

ようやく春の陽気を感じられるようになった4月5月、相変わらずお客様の問い合せだけは寒さは残っていたものの奇跡的に確保出来たお客様のオカゲで、少し時間の使い方に余裕が出てきた時、ちょっと疑問に感じることがあった。それは既存のお客様から時折発せられるお話、俗にいうところの「ご紹介」というカタチ。このカタチに何とも不思議な違和感を感じていた。この業界ではご紹介があってこそ大凡、成り立つ部分も多い。ましてやご紹介に依存せざるを得ない背景も否めない。そこの部分に常々、不自然を感じていた。

ナゼに「ご紹介」というふうになるのか?、

とにかく考えた。家庭教師の為か、紹介元の為か、紹介先の為か、両者含めた相互間の為か、それを考えて考えて考えた挙げ句に気が付いて少し背筋が凍った。なぜならこの「ご紹介」というプロセスは、家庭教師自身がどうしても甘んじてしまう可能性が十分に存在してしまっているからだ。甘んじてしまうと人間はそう易々と殻を破れない。紹介してもらえるから・・・、と考えてしまうような刺激を脳裏に宿してしまって手元の仕事に変化をもたらしてしまう。これは絶対にダメ。ご紹介して頂ける方と頂けない方という次元で学習指導に差をもたらせてはいけない。学習指導とは、そもそもご紹介があろうと無かろうと全力を尽くさなければならないのだ。ご紹介元のお客様の命によりご紹介先のお客様に尽くすコトのみを大前提として「ご紹介」頂くべきであり以後、時間を掛けて次第に自分自身のお客様色に塗り替えていく努力をせねばならない。そこでこんなコトを考えてみた。

正の連鎖よりも負の連鎖の方が絶対に浸透し易いじゃん、

「ご紹介」というのはメリットよりもデメリットの方が圧倒的に大きい。それでも多くの家庭教師はご紹介頂くと大喜びする。知らぬとは恐ろしいもので、この食い付き1つで考えるチャンスと甘んじる心を手にしてしまう。出会いのキッカケと成り得るだけのプロセスと考えるべきなはずだ。ご紹介のお客様を受けさせて頂く時には、それ相応の環境が整っていて初めて成立すると考えるのが妥当だろう。だからこそ、ご新規のお客様を率先して集める、という仕組み作りをする必要がある。そうすることで、ここぞ!!という時にはいつも緊張感があるし、ストレスも感じられるし、喜怒哀楽も生まれて場合によっては感動にも繋がる。とにかくご新規のお客様を集めるコトを考えて行動し、そのうえで末永く御付き合い頂けるような信頼性を確立する方が長続きもするし、身に覚えのない噂も広がらない。単にご紹介してもらうというのは危険満載だ。それは浅く広くという観点に一過性を含んでいるという由縁だろう。深く狭くを大切に考えていくべきだし、自ずと広がっていくモノは自然に任せておけば良い。

そもそもご紹介先というのはご紹介元の近くにいらっしゃるものだから、わざわざご紹介元を経てご紹介先を紹介頂かなくても、自分の努力でご紹介先になろうとしていたお客様をご新規のお客様として迎え入れられるようにアプローチすることで確保に努めれば、それは結果的に等しいこと。いつでもどんな時もストレスを感じつつ時間もパワーも使いながらお客様を確保しなければならない。常に厳しい状態に自分自身を追い込むことで様々な知恵も浮かぶし、これまでに無い程にポテンシャルも発揮される。ご新規のお客様を集める、というコトをとことん専念するべきで、「ご紹介」はあくまでも副産物的な観点として捉えて、シッカリと支えられる環境を整えたうえで受け入れるべきであり、決して依存してはならない。とは言っても「ご紹介」というのはヤッパリ素晴らしい。新しい出会いのパラダイム。新しく出会う、というコトはその方々の人生ならびに子供達の大切な時期に大きな影響を与えることが出来る。話題に登ったり進展性に期待を抱いたり、いろんなコトが考えることに繋がる。

「ご紹介」の品質をより高く整えちゃえば良いんだ、

、、、という身も蓋もない不思議なことを考えてアプローチすることを思い付いた。単なるご紹介というのは危険過ぎる。ならば危険が付きまとわないような「ご紹介」を受ければ良い。ご紹介元の範疇でも、よりプライオリティーの高い方々に目を向けてアクションを起こせば良いのだ。ご紹介元のお客様も緊張するようなご紹介先であらば、より一層高い品質の「ご紹介」に発展する。イタズラに変な事にもならないし、変な波風を立てられることもない。それ相応水準以上で共通の価値観をもったご紹介ネットワークを確立出来る。そうなるように取り組みを実現すれば三者三様に良いコトばかり。何だか良いじゃん。

言葉ではなく手元全てを公開してみよう、

その為には謳い文句ではなく実績の公開が必要不可欠だ。実績を公開するには伸ばしていくモノを伸ばしていかなければならない。その為にもカタチの無い何かカタチをつくる必要があった。子供達の心の中には夢と希望が必ずと言って良い程に存在している。しかもそれは一人一人違う夢と希望。私達が無闇矢鱈に決めてはいけない。みんながみんな共通に持っていて、一人一人が各々にしか見えないモノ。それこそが「志」というイデオロギー。けれども小学生や幼稚園のお子様達にはよく分からないので、その「志」というニュアンスを噛み砕いて「道」と改めた。夢と希望への志、というのを、夢と希望への道、というふうに変えて、希望への道、というふうにブラッシングして整えた。シンプルかつ誰にでも分かるような何だかよく分からない感じの、決めない、というモノを決めた。このようにして「希望への道」というコンテンツが出来上がったのだ。

家庭教師で勉強を教える、というよりも、子供達の将来に大きな影響を与える、というふうに考え方を変えた。そこに絞り込むものを絞り込めば、それ相応の価値観に応じた方々から少しずつ評価を頂き、副産物的な観点でご紹介に繋がっていくものだろう。それも繊細に、かつ、間違いのないネットワークの確立に繋がる。カタチの無いものに価値を見出してくれる方々に評価を頂くことを目指せば良いのだ。その為には短期、長期なんて拘ってはいけない。いろんな角度からいろんな視野から様々な問題に対処出来なくてはならない力を自分自身に身に付ける必要があった。誰にも真似出来ない素晴らしい授業をするのではなくて、誰にも真似出来ない素晴らしい努力をすれば良い。それが向こう6年12年と長く御付き合い出来る付加価値が生まれて、それ相応の価値観を宿したお客様が集まったり育ったりするはずだ。かなり特殊な試みだし、かなり大きな勝負だが、そうでないと何だかいけないような気がした。実際にお客様は支えてもらえるんだったら長い間支えてもらいたい、という本音が多くの方々に存在しているのを従順に承知していた。これはとてつもなく単純なことだし当たり前のことだろう。誰もが目を背けるようなコトを徹底的に直視して何もかもに率先して取り組めば良むコトで解決出来る。タテにもヨコにも、掲載エリアや広告枠の視野を広げるコトを考えるのではなく、内容も広げなければならない。つまり具体的に言うとそれは、中学受験に本格対応したり、大学受験に本格対応したり、私立だろうと公立だろうと優秀だろうと危機的状況だろうと、全てに対応出来るような幅を内容に持たせるべきだなのだ。今だからこそ気が付いたのだが恐らくこれが、コンセプト、という何かが出来上がった瞬間だ。

よし!!「オモシロい」をとことん磨いてみることにしよう、<つづく>