トツゲキ人生「一歩」

大学の卒業が大凡決まってきた頃、私は家庭教師という職種を生業にしようと決意した。けれども当時決意した時はまだ卒業をしていなかったコトを覚え ている。もちろんだが、卒業式にすら出席していない。そんな余裕なんて無かったからだ。とにかく生きていかなきゃならない。家庭教師で生計を立てる為に0円モバイル携帯を片手に、とにかく片っ端から家庭教師登録をした。若かれし脳ミソでは、それぐらいしか思いつかなかったのだ。0円でお客様を集める方法だからだ。教材派遣、会員派遣、純粋?な家庭教師派遣、兵庫、大 阪、京都、東京、神奈川、千葉、、、何が何でもの気持ちで手当たり次第登録しまくった。システムだろうと地域だろうと、能動的にも受動的にも登録をしま くっては仕事そのものを得ていた。というよりも掴みまくっていた方が表現としては適切だっただろう。

なぜならば大学卒業後には既に結婚を決めていたパートナーがいたのだから無理も無い。相手は警察官の娘さん。まさか大人になってからもお世話になる とは思ってもみなかった。もちろん良い意味でだ。よく許してくれたものだ。 就職活動なんて一切皆無。就職の前に結婚が決まっていた。さらに不安定。加えて培った体力も無い。若い時のパワーと勢いは恐ろしいぐらいの不思議を生むよ うだ。それに加えて若干、年齢的な事情も重なっていた。大した差では無いのだが6つ程度の差がある。もちろん年上だ。そうなると必然的に考えられることが ある。それは子供のこと。結婚を決めた当時の人生設計で、子供3人欲しいけど無理やろなぁ〜!?、という言葉が妻の口から浮上していた。静かに重く伸し掛 かるモノがあった。けれども否定はしなかった。諦めちゃいけないよ!!まだまだ始まったばかりじゃないか、という気持ちで伝えられる限りの情熱を伝えた。 ともかく気持ちの中では確実に存在力を増していた。選択肢は1つでなければならない。絶対に叶えてやるから今に見ておいてくれ!!、だからと言って説得力 は無かった。年齢的にも身辺的にも経済的にも、それぞれの集合体が重なったところのド真ん中にシッカリと佇んでいたのだから無理もない。

幸いにして自然の摂理も重なって丁度10年前にB型の人間性を宿したO型が誕生。第一子だ。子供が誕生すると人間は大きな成長を果たす。恐らくパパとしての第一弾成長期と言っても過言では無いだろう。要するに、人生を歩むうえで本気にならなければならない、という覚悟を決めることが出来るのだ。このままではいけない、というコトは子供が1年2年と育つにつれて心身ともに自覚していった。経済的な不安定をとにかく解消する、という課題を何とかせねばならん。不安定を解消しないと我が子の人生に大きな影響を及ぼしてしまう。それではいけない。我が子の人生すら成功に導けない人間が、お客様の大切な御子様を成功に導くことが出来るはずもない。

よしッ、正社員で家庭教師をやろう!!!、と思って徹底的に調べまくった。そこで、まさかの事実を初めて知ったのだ。妻子もいる、家賃を払う、貯金も無い、さらに押し寄せる仕事の減少。こんな身辺で家庭教師の現状を知り、心身ともに衝撃が走ったのを今でも覚えている。その状況とは・・・・・<つづく>