困ったちゃんなコト。

進学校と位置付けられた公立高校に通う我が受講生達に見られる困ったちゃんなコトがある。それは分からん問題があった時によく起こるカッコつけちゃう症候群。数学や化学では本当によく見られるのだが、やたらと解説や例題のコトが大好きちゃんで仕方がない。難しい問題に当たるや否や静かに一定時間、ジィ〜〜〜ッと問題を見詰めて大凡、自分のバロメーターがリミットに到達した時、解答解説をみないと居ても立ってもいられなくなる。そして、そんな衝動を各所問題に対して、やたらと決め込む。分からん自分が許されへんのか、時間がもったいないからなのか、それは一人一人に応じて事情が違うだろう。いずれにせよ、本来の目的から外れている。漸進性のないプライドなんて張ってもしゃ〜ないのに、スマートに事を運ぶように悪びれる顔もするコトも無く衝動を起こす。

目の前にある問題が分からんかっても、分からんなりに手元をジタバタと動かしまくったらええんちゃうんやろかッ!?。書き殴るぐらいに手元でカキカキしておけば、自然と頭は回転するし、目の色も変わるはず。そんな感じで、あぁ〜〜でもない、こぉ〜〜でもない、とジタバタと問題に当たって砕けた方が、より自分を成長させることに繋がるし、分からん問題があっても逃げない、という習慣を1回でも多く得られる。自分の解き方っちゅうもんを自分なりに試行錯誤してみる良いチャンスやのに、絶対に自分の力で障害を乗り越えてやるぞ、という意識が無い。

もちろんだが、すんなりとスムーズに解く、ってコトは悪いコトではない。けれども、そこまで辿り着くには、それ相応の必要な努力やガムシャラ感が存在する。解答解説をみてパッパッと解く、というコトは単に逃げてるだけにしか過ぎへん。自分はこの問題出来るもん、という錯覚に陥って解いた気になり、ハリボテチックな解ける、に到達してどないすんねん。勉強する、問題を解く、ってもともと大変なコトやのに、「時間が掛かるから」とか「すんなり解けへんから」とか、で事なきを得たらアカン。そんなんしても必ず、自分の元へ返ってくる。

「問題読んでから一定の時間が過ぎて分からんかったらスグに答えを見たり解説を読んだりして理解したつもりになって次の問題にいく」というこんな繰り返しをする前に、先ずヤラんといかんコトを認識して実行に移すべきや。時間が掛かってもええから、自分の力で導かなければいけないモノを導こうとしてもらいたい。それでも出来ないなら、ヒントとなりそうな基本事項を探す為に、教科書やノートを調査すべきちゃうかな。ダイレクトに解決するのではなく、間接的に導き出して極力自分自身で解く努力をせんとアカンわ。

Aさん「先生ッ!!分からないところが、あるんで教えてもらえませんか???」

和田「ええよ。何でも出してみてん。」

Aさん「この問題のココの部分なんですが・・・。ココからココに繋がるのが分からないんです。」

和田「え!?、何で分からん問題の解説の中身を解説せなアカンのん!?、自分でヤリこんだヤツは?、無いん!?え、なんで無いん!?ジタバタしたヤツなかったらアカンやん。」

Aさん「・・・・・」

和田「自分のジタバタしてヤリこんだモンは無いんかいな!?、君のヤリこんだモンを確認して方向性を見出し、その方向性に応じて君の背中を押してやるんが私の役割やねんで。分からん問題の解説のぉ〜ッさらに解説の分からんトコを説明するんが、私の役割ちゃうよ。そんなんアカンわ。自分のやったモンをもっておいで。」

分からん問題を解決させるよりも、分からん問題があったらスグに解答解説をみて解決させるという習慣性、を改善する方がよっぽど大変です。それらの衝動に気付いて改善しようと切磋琢磨しておられるプロの家庭教師さんが世の中に、どんだけおるもんなんでしょうか!?これは大人になってからも引きずってしまう程の大きな問題だったりします。