トツゲキ人生「初戦」

けれども当初お話した担当の方ではなかった。何度ぐらいタライ回しを味わえば良いんだ!?、だからと言って贅沢は言えない。ここで引き下がってなるものか!!、とは言っても少し安心した。担当の方が決まったのでこれから広告掲載のお話を進ませていく、という内容を伝える為のご挨拶の電話だった。要するに担当者が決定したという連絡。それでもこの電話の機会を活かすべく、前もって準備しておいた質問シートを電話越しで打つけた。かなり迷惑そうだったが、そんなコトはどうでも良い。必要な情報を手に入れなければ意味がないからだ。ここで電話を切ったら次に繋がらない。電話を切りたそうにしていたのは明白。けれども一様に答えを得られるまで繋ぎ留めた。恐らく1時間近くは喋っていただろう。

いろいろ見えてきた。NTTタウンページの広告料金というモノは、地域や大きさやカラーによって樹形図的に散らばっている、というコト。掲載内容が決まったら事前審査を経て許可がでないと掲載出来ない、というコト。言葉のキャッチボールで原稿が出来上っていく、というコト。そして担当者も売り上げを伸ばそうとして揺さぶってくる、というコト。 そんなアレコレ情報をリサーチして2月の段階ではこれらを吟味することにした。次は4月か5月のゴールデンウォーク辺りに連絡する、という大雑把な感じ。否めない感情は確実に残るが私情を挟んでも生産性は無い。どうせ大した広告なんて掲載出来ないんだから何をムキになってるの!?、みたいなコトを電話越しでヒシヒシと感じた。社会というものは自分が思っているよりも甘くはないものだ。

まずはどんな広告にするのか、を考えるべく当時にまだ縁の切れていなかったお客様が在籍する派遣会社掲載のタウンページ広告をチラッと確認した。大凡ではあったものの電話越しのヤリトリで広告料金を覚えていた。そして見てビックリ!!、料金の掛けっぷり具合に圧倒された。次に他の業者さんのモノも確認した。目が・・・になり生唾を飲んだ。そんなに予算は掛けれない、というよりもむしろ存在しない。どうしたものか!???、頭を使って時間も使った。とりあえず資金以外の何もかもを使うしかなかった。そこで一ケ月程度を要したが、ある一定の共通点を見出すことが出来たのだ。色を使わずに広告が大きい、料金を出しているところが少ない、みんな同じ感じで字が小さくて見難い、というものだ。あんまりスマートな感じには見えない。これにはもの凄く違和感を覚えた。費用と内容にギャップが有り過ぎるにも関わらず、広告の大きさが違うだけで、みんな同じようなモノばかり。ナゼだ!?、ナゼだ!?、ナゼだ!?、、、そのナゼを解明するのにそんなに時間を要さなかった。節約作戦も功を奏して息はカツカツ。待ちに待った約束通りのゴールデンウィーク前に連絡があり、いろいろ話をしている最中にハッとした。

NTTタウンページは正に広告戦略のプロ。確かにそうだ。間違いない。けれども、やはり話をしていても何となく???が残るのも間違いない。気のせい、であると信じたい。とは言っても気になって気になって仕方がない。電話で話していてスグに分かったのが、広くて浅くてベクトルが違う、という印象だ。ましてや教育業であるという観点と広告掲載であるという観点を結び付ける戦略的な効果が感じられない。それぞれの内容が独立しているのは一目瞭然。接着剤的な役割が見当たらない。業種別に戦略が異なっていても良さそうなものだが、特にそんなコトも無いようだ。恐らく担当者によって経験や知識が大きく異なるのだろう。当初、スペシャリストであるがゆえ期待をして全部お任せする方が良い、という錯覚に陥っていたがそれは大きな間違いだと電話中、瞬時に気が付いた。

浅く広くではダメ。狭くても良いから深く濃くでないと来年に繋がらない。つまり、ギュッとやって様子を見て反省を生む手法が必要だ。そうでないと永続的に集客を見込める広告掲載には繋げられない。戦略的に考えないで手を拱いているからこそ、掲載スペースを大きくしなくちゃいけない、という衝動に駆り立てられているのだ。大きければ見る!?、そんなコトはないだろう。そこにあれば見るもんだ!?、大きさ如何で見る見ないの設問に対して、見ない、を選択する者はいない。当たり前のことだ。大きかろうと小さかろうと、そこに存在し中身に魅力的な要素が含まれているのであらば立ち止まる。

よしッ、イケる!!

反省→改善→効果、へと繋げる為に3年。・・・→研磨→節約→安定、へと繋げる為にさらに3年。うん!?何だか良いじゃん、ってな具合を想像するには大凡6年程度の月日を要する。もちろん時間が掛かり過ぎているのは百も承知。けれども誰にも責任を押し付けることもなく、失敗しても成功しても野垂れ死んでも自分一人で済む。この期間に自分も想像もしなかったようなチャンスが起きるかもしれないし、いろんなアイデアも芽生えるだろう。自分の仕組んだ取り組みに従って、自分が尽力を果たせば必ず報われるはずだ。わッ!?アカン、って思えば舵を切り替えることは出来るだろう。人間というものは自分の思っている程以上に結構、都合良く出来ている。とは言っても資金が薄っぺらい。体を酷使してでも成し遂げようとしている人間が、よくも、まぁ〜〜〜ッ、こんな偉そうなことをペラペラと言えるものだと笑ってしまう。B型という血液型でなければ、こうは言えなかっただろう。固まった3つのイデオロギーを挙げると次の通りだ。色を入れて小さいサイズ、料金を大々的に公開する、日頃培ってきた情熱を言葉に入れる、というシンプルなもの。

ワクワクしながら1、2ケ月を待った4月下旬。再びNTTタウンページ担当者から連絡があった。畳み掛けるような話し方で電話一本の数分程度でパパッと決まっていった。前回、前々回の電話越しが尾を引いているようだ。まぁ〜これもご愛嬌だろう。嫌われるのは慣れているので、こちらサイドはまったくもって問題ない。掲載エリアは兵庫県中播磨版のたった1つ。スタイルはホワイトノックアウト1/8サイズ。料金は月額2万円程度。恥ずかしいことにコレが何ともキツかった。後日、担当者から正式な契約書が送られてきた。もちろん即時捺印、即時返送してハイ!!完了。昨年のドタバタ劇から考えると早いもので既に半年が過ぎていた。いよいよ9月10月の掲載アップを期待するだけとなり意気揚々。NTT大作戦も一段落して自然と共に人並み程度に安全に生きていくことが出来ている。せっかく創った手書きチラシを印刷屋さんに出して新聞折込を再びする意味も資金も見出せないまま数ヶ月を過ごすのはもったいない。時間だけは、とにかく結構たくさんあった。

よしッ、次はパソコンを勉強してみよう!!<つづく>

トツゲキ人生「機転」

仕事以外の膨大な時間と少なくなったチラシだけがあった。仕事の時間よりも空いている時間の方が多かったので子供の手前、朝から家を出ては歩く歩く歩くだけをやっていた。とりあえず少ないチラシを片手に周囲を見渡しながらダラダラと夜遅くまで配っていた。全てのチラシのポストインも終えて。いよいよ途方も暮れて公園のベンチに座ってボーーーッしていた時のことだった。ポストインを終えた最後の家の門扉あたりに分厚い本のようなモノがあることに気が付いた。

「あれ何や!?、あぁ〜タウンページかぁ〜!???、あんな門扉のところに置いてんねんなぁ〜〜〜ッ!?・・・・・・・・タウンページ!?、アッそうか☆」

寝転んでいたのですが気が付いた時には即行、飛び起きてました。時期も時期だったようで電話帳の入れ替えだった。気が付いた時には既に夕方を過ぎて夜遅くにもなっていたので帰宅して早寝早起き。タウンページに広告を出す、ということを思いついて朝早く早々にNTTタウンページへ問い合わせた。けれども話がグルグル回るだけで、お目当ての内容が掴めない。ビジネス社会慣れ、社会人慣れをしていなかったのがバレバレだったようだ。A→B→C→D→A・・・というような流れのタライ回し。普通ならば憤り満々。けれどもそんなコト言うてられない。自分が欲しい情報を得る為に至るところから至る角度で発信していく。怒濤のように発信していく。手に入るまでは決して諦めない。相手がNTTだろうと何だろうと欲しい情報は欲しいのだ。追い込み過ぎたのか、どうかは不明だが挙げ句の果てに先方からは「その担当者は今日辞めた。」という始末。そこまでして話がしたくないのか!?、、、

それでも絶対に諦めなかった。そんなヤリトリを3、4日程しまくって、ようやく話を聞いてくれた。ただ怒濤のような勢いもありギクシャク極まりなかったが、欲しい情報は得られた。9月から10月に掛けての時期は、古いタウンページと新しいタウンページの入れ替え時期なようで、来年度申込は翌年1月ないしは2月ぐらいになるらしい。とりあえず連絡を入れてくれるようなので、思いっきり期待して数ヶ月を凌ぐことにした。けれども、よくよく考えた。申込が1月ないしは2月で入れ替えが9月10月ってことは、1年も待たなければならない、というコトだ。10月も初旬ともなると残された時間は、後5ケ月をきっている。持ち直さなくてはならん。チラシに与えられる資金なんて皆無。広告が出来ないにも関わらず空白のタイムラグを乗り越えないといけない、と考えると背筋の凍る思いだ。

どう凌ぐ!?、自分自身に何がある!?、何が出来る!?、とことん考えた。まずは売れるモンを全部、売ることにした。車だろうと服だろうと本だろうと、何だろうと売りまくった。最低限、仕事の出来る身辺だけは整えて後は全て売りまくった。とことんだ。車に至ってはバラバラにしてから売った。車を触る趣味もあったのが幸いした。これで数ヶ月程度も寿命は伸びた。そして次に考えて行動に徹したのが、気持ちが折れそうな程の恥も外聞もない徹底的な節約だ。自分自身の24時間を考えた。睡眠時間を削って日々、疲れを残すような状態にした。体力を節約するコトを考えたためだ。さらに1日2食に徹して、朝ご飯には砂糖や塩を入れただけの水で過ごした。昼ご飯に至っては、ほぼ食べなかった。移動中、喉が渇けば公園の水を飲んだり、頭にパワーが無くなればチョコレートを刻んで食っていた。時折、お客様から頂ける御心遣いには感謝感激を覚えたものです。本当に涙が出る程に、手が震える程の気持ちでした。夕方夜になって腹が減れば頃合いを見ながらコンビニの廃棄弁当をもらっていた。来るべき日のことを考えると恥も外聞もあったものではない。指を指されても冷ややかな目で見られても、とにかく耐えた。例え1食でも私1人分の食い扶持で大きな節約に繋げられるのならば良いという思いだ。もちろんのコトだが妻や子供だけには、そんな思いを決してさせてはいない。さすがに過酷過ぎるからだ。これは私の範疇で行うべきだ。 頭と体が悲鳴をあげそうになりながら時が経つのも早いもので雪が散らつく2月下旬。とうとうNTTから連絡があった。ついにやって来た。<つづく>

感謝感激感無量ですッm( _ _ )m

御年は大変お世話になりましたm( _ _ )m年末のバタバタ時期にも関わらず、お心遣い頂きまして誠に恐れ入ります!!!本日は年内最後の授業でしたがいつも通り徹底した対応で終了させて頂きました。来年度には新しい環境がいよいよやってまいりますので、気持ち新たに臨んで参る所存です。

お姉様はいよいよ中学生。9月より随時、戦略を進めさせて頂いております。年内におきましては正負の計算を一様に整えました。ただAクラスという次元を中学生の次元として捉えさせておりますの多少、錯覚を起こしている節があるはずです。入学まで魔法が解けないコトを祈っております。その時にまたどんな反応を示すかが楽しみです。英語におきましてはcanの文まで整えておりますので、冬シーズンを活用して出来る限りの復習に備えて頂ければと考えております。とは言ってもこの冬の最優先はやはり、ご家族ご親戚皆様方との思い出作り、だと思っておりますのでご安心下さい。

妹様は小さいながらも大きな変化がありました。毎回の毎回の授業で、図を書かなアカン、式を書かなアカン、何にも書かないのはアカン、というように強く注意してきました。加えて、先週やってきた宿題の取り組み以上に今週は取り組んでくるコト、という約束をした通りに、今週はシッカリと約束を果たしてきておりました。もちろん体調不良を加味したうえでのお話です。極限的に重たい空気で質問と注意を促した折、いつもならば口答えをして自分の正当性を押し出し黙って涙を流すコトで済ましていたにも関わらず、本日は姿勢が違っていました。ちゃんと説明を果たしたうえで反省し、素直に謝る、という姿勢がありました。感動しました。ただ字の安定感だけは疑問がありますので今後も注意の手は緩めません。

トツゲキ人生「折込」

一本も電話が鳴らへん。

不思議と思ったので、再度、新聞屋さんに折込チラシを持ち込んだ。それでもヤッパリ電話は無い。ナゼ無いのか!?、という疑問が浮かんで頭と体が自然と動いていた。問題は必ず解決せねば昔っから気が済まないので、1つ1つチェックマークを作って分析した。

チラシを創る、にあたっては電気屋さんとか近所のスーパーのチラシ等の見え方を活用していた。けれども唯一同業他社のチラシは一切、参考にはしなかった。同じようになりたくなかったし、変な固定観念がついてしまう恐れがあったからだ。それは今も変わらない。チラッと見ても、しょうもない!!、と心で呟いて無視していた。印刷サイズも考えた。もしかすると大き過ぎるかもしれないが、何となく見栄えが良いA4サイズを少し大きめの雑誌ぐらいでイメージしていたからだ。考えなくして決めていない。印刷媒体はどうだったんだろうか!?、恐らく一番問題無いだろう。自分が思っている以上に素晴らしいモノが出来たと言っても過言ではないからだ。まだまだヒヨッコだった目には、そう見えた。そこで1つの疑問にぶつかった。ちゃんと配られているのか!?、というものだ。そこで前回、前々回の新聞折込分を確認して気付いたことがある。不審な共通点を見付けたのだ。その点とは、二重にチラシが入っている、というものだ。チラシが本当に手配されてるのかを確認していた。もちろん確認するとちゃんと入っていた。入っている、という嬉しさに死角があった。入っている枚数までは気にも留めていなかったのだ。それに気付いてからは確認すべく再度、同じような感じで、同じような新聞屋さんに同じような手配の方法で折り込みをお願いした。そして来るべきチラシが入る日やってきた。新聞を早々にチェック。

やっぱりだ!!!

衝撃的だったがここまでズサンだったとは思わなかった。やはり二重に入っていたのではなく、二重に入れていたのだ。それは私のところだけではない。チラシというチラシの大半の会社のチラシが二重に入っていたのだ。これまで1回3000枚程度のチラシの役割が1500枚程度の役割しか果たしていなかったのだ。もう愕然とした。社会というものは本当に厳しい、というのを目の当たりにした。気が付かなかった自分が悪いのだから仕方無い。今更文句を言ってもフラフラと逃げられるだけで時間の無駄だ。

この時から新聞の折込チラシを一切しなくなった。良くも悪くも良いキッカケだった。予算も空っぽ状態で手元に数枚程度残ったチラシを朝から晩まで手配りした。さすがに数枚程度では反応も皆無。電話なんてあるはずもなく無く、新聞折込チラシ大作戦は木っ端微塵となって消え失せた。資金も無ければキッカケも無ければチャンスも無い。だからと言って何かしらの手を打たなければ潰れてしまう。生き残る為にとにかく頭という頭を振り絞った。もう必死だ。気が付けば残暑も過ぎ去ろうとしていた9月半ば。数枚程度残ったチラシを手配りした時の記憶が頭の中を駆け巡った。若いかれし記憶力と発想力は健在を極めていたようだ。チラシで下手した経験が功を奏したのだ。。。<つづく>

イチ国公立・イチ私立

関西のイチ国公立、イチ私立での求人採用を目指して求人票を提出させて頂きました。兵庫では神戸大学、関西学院大学。大阪では大阪大学、関西大学。京都では京都大学、同志社大学。各大学キャリアセンター様!!何卒、宜しくお願い申し上げますm( _ _ )m

トツゲキ人生「若葉」

登録派遣により獲得したお客様を少しずつ減らしていくコトだった。時と場合を考えたとしても確かに苦渋の決断であったのは間違いない。フツーならば・・・という考えを以て物事を吟味すると、私のやろうとしているコトは不思議で不自然なことばかりだ。喉から手が出る程に欲しいお客様を減らすのだから止むを得ない。ただ目先の利益ばかり追い求めては、大きな将来性を確保することには決して繋がらない。要するに甘んじてはならんのだ。そもそも今、預からせて頂いているお客様は自分自身の力で獲得したお客様ではない。派遣会社を通じて獲得したお客様ばかりであり、家庭教師としてその末端を支えているだけにしか過ぎない。家庭教師が良くてお客様から指示されたのではない。派遣会社のシステムに興味を示して頂いたからこそ、今のお客様がいらっしゃるのだ。ココを変えないといかんのに私情を挟んで、あぁ〜でもない、こぉ〜でもない、という理屈をこねるのは大きな矛盾。だからこそ脱却せねばならない。

今のお客様を家庭教師そのものに魅力を感じて頂けるお客様に変化させれば自ずと成功は導かれるはずだ。ニーズが無ければ今の状況には至っていない。ニーズは存在している。お客様は問題を抱えて困り果てている。だからこそご依頼に繋がる。けれども現状では、その辺りに見当たらないからこそ、間口の大きいところへどうしても目と足が運ばれてしまう。料金的な問題やシステマティックな仕掛けがスクランブルされているにも関わらずお願いしないといけない状況がある。例え向こうサイドの見えない不安感が存在していても、ご依頼の一途は途絶えていない。他に無いからお願いするしかないからなのだ。確実にジレンマが存在している。このようなジレンマが起こらないような仕組み創りを行えば、自ずと価値観のあったお客様が連絡して下さるのは間違いない。お客様を信じて自分自身のヤルべき事を信じて取り組むべき行動に全力で徹するしかない。お客様が気になられるポイントは、とってもシンプルでクリアーでないといけないはずだ。私には半年後に絶望的な極地が控えている。資金が底をつくのも最早、時間の問題、ということも既にこの時ばかりは明らかだ。恐らく半年と掛からないだろう。何とかして登録派遣以外の手段でお客様を確保しないといけない。勝負に出るしかない。

「そうだ、宣伝広告をしよう!!!」

真っ先に思い付いたのが新聞の折込チラシ。さすがに陸の孤島で大声をあげても手をあげても、周知させるコトが出来なければ単なる家庭教師ゴッコをやっているにしか過ぎない。知ってもらうコトはとても大切だ。とにかく新聞の折り込みチラシを制作することにした。チラシなんかの作り方なんて、まったく知らない。だからとにかく各種様々なチラシを参考に作ってみた。当時、パソコンの使い方がままならなかったので、とりあえずA3サイズ程度の大きい紙に手書きで精一杯書きまくった。それを印刷会社へ手持ちで持ち込んで印刷をお願いした。もちろん変な顔をされたが私の目から火花のようなビームのような光線が出ていたようで、個人の持ち込みは受け付けられない、というルールをひっくり返した。印刷も仕上がって最後に新聞屋さんへ持ち込んで折り込みを依頼して待機した。まさか、この新聞屋さんへの持ち込みが今後、大きなドンデン返しとなろうとは知る由もなかった。社会の厳しさ、を改めて実感したのだ。。。<つづく>

トツゲキ人生「岐路」

・・・・・家庭教師で正社員採用が無い、という状況!?、うそん!?、マジで!?、正に知る人ぞ知る状況。要するにここにきて絶体絶命の危機。正社員だかパートだか、よく分からないものならばあるのだが、自分のイメージしている将来性を構築出来るような環境が整っていない。恐らく採算が取れないからだろう。家庭教師の社会的ポジションとはそんなモンだ。だからと言って学習塾業界や予備校業界に身を置く事を考えるか、というとそれはしたくない。なぜならばそれでは根本的な問題解決には至っていないからだ。20余年学んできたことで学んだ事は、諦めちゃいけない、ということ。しかし家族を養わなければいけない。もう本当に悶々とした。だからと言ってクヨクヨはしていなかった。そんなコトするよりも、やんないといけないコトがたくさんあったからだ。

当時は今と同じような感じの就職超氷河期。けれども今のように、国から支援があったか、と思い返してみてもそんなに覚えていない。自分が就職する、というポイントで何か違和感を感じていたからに違いない。就職を無視していた。家庭教師で正社員が無かったからと言って今更、就職活動を行っても梨の礫。早々にヨーイッドン!!をきっている同年代達やフレッシュマンに先を越されており、就職戦線を渡り歩いても勝算は無いし、生涯賃金を計算してみても何だかパッとしない。時間の無駄というと言い過ぎだが時間を効率的に有効活用していないのは明らかだ。それ相応に頑張って、それ相応の報酬をもらって、みんなと同じような感じで日々を過ごす。何だか刺激が無い。めちゃくちゃ失敗するか、めちゃくちゃ成功するか、そんなハラハラドキドキした20代30代を生きないと、40代50代になった時につまんない自分の人生に自暴自棄になる可能性が大きくある。それでは本当にオモシロくない。

ダイヤモンドも磨いて磨いて磨きまくってこそ光り輝くものだ。仕事を寄ったり、好き嫌いをしている訳でも何でも無い。人生を充実させるべきイデオロギーが私には存在しているからなのだ。恐らく理系ってそんなモンだろう。何事も追究すれば自ずと欲するものは手に入ると分かっているからこそ、個人的感情一切度外視で行動出来る。決めればとことん拘ってしまうし、継続させてしまうのだ。もうこうなったら就職活動で同じようにしんどい事をやるなら、自分で営業やって一生懸命に仕事(家庭教師)をやってみる方が良い。むしろ、その方が近道なのかもしれない。

「家庭教師で正社員が無かってん。もしやっていけんようになったら働いてもらわなアカンねんけど、ええやろか!???」

我が子を抱く妻の目を見て胸が張り裂けそうな気持ちで話をした。もちろん離婚されても止むを得ないからだ。自分自身の覚悟は固まっていた。その空気を察知していたかのように、静かに微笑みながらうなずいてくれた。言葉は無かったが大きな勇気に繋がった。あの時の情景は今でも覚えている。妻の「ここぞ!!」という時の腹の据わり具合に感服した。その時、財布の中には数える程の千円札と明日を生きる為の百円玉が数枚程度しか無かった。当時のヤリクリには本当に感謝している。

もうヤルしかない!!、ヤルしかないんだ!!、選択肢はただ1つ。前へ進むだけッ。無いなら創る!!、絶対に創ってやる。勢いも極まって頭はいつものようにフル回転。まずは私が始めたコトが・・・<つづく>