産業医科大学【志望動機】【活動記録】

志望動機

医師として臨床医として世の中で活躍することを目指し,受験勉強に明け暮れておりました。一方で浪人生活の間,市場で仕事をするようにもなり,職場での健康を考えて頂ける医師の存在に気付き,次第に興味を持ちました。実際,医師を目指すうえで働いている内に,臨床医や研究医の他にも産業医という選択肢があることを真剣に考えるようになりました。自分が働く職場では多かれ少なかれ危険は付き物です。私自身,健康診断以外では特にお世話になることもございませんでした。しかしながら昨年◯月に◯が仕事中,職場で倒れました。突然の出来事に家族皆,心配な気持ちで落ち着かない時間を過ごしました。幸いにして,◯の職場での産業医の先生が駆け付け,応急措置を施して頂いたお陰で,大きな事態に及ぶことなく自力で帰宅することが出来ました。以後,その産業医の先生の紹介により大きな病院の精密検査を受けた結果,手術入院を経て無事,退院することが出来ました。普段どんなに健康でも,体調不良は突如起きる,ということを家族の中で目の当たりにしたことは,医師として産業医として人生を生きる,という決断に結び付きました。世の中で働く人達には皆それぞれに家族の支えが存在し,その支えがエネルギーとなり企業を通じ,そして社会を通じて世の中の誰かの役に立っています。企業では産業医,家では家族,といった根本原則を維持することが出来るように医学の道を歩み続けます。

活動記録

4年間の浪人生活を経る中で日々の学習ならびに仕事,そしてボランティア活動を通し様々なことを学びました。医師になりたい,という志を高く持ち続ける中で,計画性のある充足感に満ちた生活習慣を構築することが出来た,と言えます。医学科に合格する,という目的のため自宅で1日あたり9時間30分程度の受験勉強をしてまいりました。また,学費を貯める,社会と接する,という目的のため市場で1日あたり5時間程度の仕事をしてまいりました。勿論この4年間,双方共に1日も欠かさず継続してまいりました。その結果,受験勉強を通して生涯に渡り学び続けられる力を心身共に鍛えることが出来ただけでなく,仕事を通して産業医という必要性を肌身で感じることが出来ました。それは普段,何気無く安心して仕事をすることが出来る,という側面を考える機会に触れたからです。その環境のお陰で現在,現金450万円を貯めることに成功しました。これによって学費の問題を解決することに繋がり,両親に迷惑掛けずに自分の力で自分の夢を叶える,という意識が固まりました。またボランティア活動では,高校1年生の頃から今に至るまで過去6年間に渡り継続致しております。近所の少年野球部の◯◯◯◯のコーチとして軟式野球を通し,多くの子供達の成長と教育に携わってまいりました。指導者という立場から時に厳しく,そして時に優しく,子供達の目線に立ち返って密にコミュニケーションをとる中で,彼らが必死になって苦難を乗り越えようとする様子は,何事も真剣に取り組んだ末の向こう岸を気付かせてくれます。

IMG_4326