break

とうとうiPadを壊しちゃった我が特殊部隊達。まぁ〜使ってればカタチある物はいつかは壊れる。壊れるのは使っている証拠だろう。とりわけ誰かの責任にする訳でも無く、壊れたので修理してくれッ!!、という具合に半ば言い難そうな感じで3人が口を揃えてアプローチしてきた。一先ず、その経緯を説明してもらうべく彼等に3つの質問を投げ掛けた。

壊れたら先ずどない言うねん?、

・・・ごめんなさいm( _ _ )m

なんで壊れたんや?、

・・・落として割れた。

今度からどないせなアカンのや?、

・・・大切にせなアカン。

大凡理解も出来たコトだし幸いにも若干、反省している空気に繋がった。問題解決スピードを教える良い機会だったので間髪入れる事もなく目の前で即時、Appleへ修理依頼。目で見て耳で聞いて言葉を発して心で感じて、各々が各々で反省し行動を見つめ直すコトで大きく成長してもらえれば良い。とことん厳しく叱って、とことん愛情もって褒める。

トツゲキ人生・シーズン1

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3ケ月弱で人間は変わる

2011年10月31日(月)

学校やめたい、

テスト10点20点うろうろ、

追い掛けない、

将来どうでもええ、

資格試験どうでもええ、

大学なんてどうでもええ、

宿題なんてめんどくさい、

提出課題なんて間に合うはずもない、

友達とゲームする、

勉強しないで漫画読む、

家族とも喋らない、

和田大嫌い、

恐くて涙がでる、

2012年02月06日(月)

学校ガンバル、

テスト60点70点うろうろ、

追い抜く、

将来にああぁ〜してこぉ〜して、

資格試験に合格したい、

大学って何だかオモシロそう、

宿題はやらなアカン、

提出課題は一ケ月前には仕上がってる、

友達と映画に行く、

勉強するから漫画読めない、

家族とは喋る、

和田大好き、

オモシロくて腹が痛い、

トツゲキ人生「原点」

早速、東さんに連絡を入れて家を建てる話を進行させた。家を建てる、という人生でも大きな買い物。サッパリ分からないことばかりだった。住宅ローン で借りられる金額は限られているし、親父から注いでもらった体力も全て頭金となった。無論、余剰力なんて皆無。ローンの完済やら税金やら保険料やらで消え てしまってドコも彼処も空っぽ。窮地に追い込まれていた。まぁ〜計画性なんてマルで無かったので後は残された時間とチャンスを活かして自分自身が徹底的に 頑張るしかなかった。

よし!!土地を買おうぅ〜〜〜ッ、

当時の認識は笑ってしまう程に勘違いばかり。「家を買う」という言葉の中に、建物を買う、という意味合いと、土地を買う、という意味合いが含まれる ことすら知らず、実際に購入するポジションに立って初めて理解したのだ。建物と土地は別々の考えを持たなければいけなかった。本来ならば前もって知った上 で行動に徹する必要があったが、状況も状況だったので止むを得ない。今思うと大変恥ずかしい話だ。家を買うコトばかり考えてお金を支払うコトなんて一切考 えていなかったようだ。いつもながらの行き当たりばったりな性分、自分でもこの習慣を変えたくて仕方がなかった。そう考えて調べを進めていく内に兵庫県が 土地の販売を行っているコトを知り、早々に手続きを済ませるべく神戸事務所にある窓口へ電撃訪問。その段階で衝撃的なコトを知った。実際のところ土地購入 には総額の1割程度が現金で必要であるというものだ。うそん!?、とばかりにたまたま握り締めていた事業資金と共に静かな相談。多少なりの自転車操業を覚 悟して、経済的に厳しい、という次元を遥かに上回りながらも吐き出す事を決断した。背筋の凍る思いだったが仕方が無い。大きなリスクを回避する為に小さな リスクを抱えるのも時と場合に応じて大切だ。 新たな問題が発生していたが土地を買えなくなるという大きな問題を解決することが出来た。

よし!!次は建物だぁ〜〜〜ッ、

土地の話も解決し、無事に建物の打ち合わせを進めることになった。とは言っても決めるコトはそんなに無い。予算なんて皆無だし借りられる余剰力も知 れていた。加えて言うならば頭金すらも微々たるものだ。抑えるべく部分を抑えるべく一番、資金を節約したカタチで建物を構想する必要があった。カタチを正 方形にする、窓やドアの数を少なくする、今しか出来ないコトは今する、という3つのポイントを主軸に考えを絞った。また外構工事については予算の問題が幅 を利かせていたので無視。担当の東さんからも、本当に良いんですか!?、という熱い念を押されたが奇しくも止むを得なかった。だいたい決まる事も決まって きて、いよいよが着工も開始。日取り通りに様々な工程が進んでいった。地鎮祭に始まり土地調査を経て基礎工事へと進んでいく。一番最初にベタ基礎が施行さ れて実際に建物が建つ情景が目の当たりにして、おおぉぉぉ〜〜〜〜ッ、と感動。下見に行く度にワクワク度数がマックスを更新していった。自分の基地が日々 築かれる感動があった。いろんな職人さん達の手が細部に至るまでタイミング良くスケジュール通りに進んでいく。当たり前のように丁寧に順序良く進み、期待 と喜びで浮き足立っていた。気が付けば、いよいよ棟上げの時がやってきていた。さすがにココまで来ると外形がほぼ完成しているので、将来的なイメージを掴 み易くなっていた。夏が過ぎ秋が来て、冬に差し掛かろうとしていた12月初旬。着工からわずか半年程度で建物自体は完成。家ってこんなに早く建つん だぁ〜、と出来上がってみて本当に驚いた。人間って本当に凄い。そして来る2007年1月下旬、待ちに待った引き渡しの時がとうとうやってきた。

ああぁぁぁ〜〜〜〜やっと出来たぁ〜〜〜〜ッ!!!、

思えば大変なコトばかり。本当にいろんなコトがあった。建物の確認、周囲の確認、スイッチ類の確認を担当の東さんと行う。1階から2階までを1つ1 つ丁寧に、そしてユックリと。全ての確認作業も一様に完了させて、最後で最後の引き渡し作業がやってきた。安堵感が満ちる空気の中、引き渡し書類への捺印 がとうとう完了。ようやくマイナスからの脱却を果たすことが出来た瞬間。自分にしか見えないバックグラウンドが脳裏を翔る。0というポジションに立つ事が こんなに大変だ、とは家庭教師を始めた当初、想像すらしていなかった。2002年1月に無茶苦茶な状態で結婚して、2007年1月に小さな小さな建物だけ ど、自分の基地を創るコトが出来たのだ。これで、ようやく大手を振って仕事をするコトが出来るし、受験塾家庭教師の良さを皆様に知って頂ける。絶対に諦め てはいけない、という気持ちを全身全霊に磨き続けた結果だったのだろう。とは言っても、この5年間は単なる序章にしか過ぎないはず。本当の闘いは、まだま だ始まったばかりなのだから油断は禁物。

よし!!ヤルぞッッッ、

<シーズン1・おわり>

トツゲキ人生「土俵」

しばらくしてから幾つか少しずつ連絡があった。 しかし、その結果は散々なものだった。甘さを宿した申請への結論なんて、やはり想定内の範囲でしかない。電話が鳴る度にネガティブアプローチ。地方銀行からもダメ、信金からもダメ、労金からもダメ、農協からもダメという結論ばかり。もちろん返事や言い方は穏やかそのモノだったけれども内容は背筋が凍り付く程に厳しい。それからも行き当たりばったりで幾つかお願いしまくった。だが各種様々な方面で当然の如くダメダメ光線。さらに兵庫県を飛び出して大阪、京都、奈良への銀行にも考えの幅を広げてお願いしたところでダメ。間違いなく手詰まりとなった。いや、でも違う。1つだけ残っていた。こんだけダメダメ光線を浴びると私も含めて周囲の温度差がとてつもなく冷めてくるのも無理は無い。けれどもココまで来て諦めてはならない。正に七転八倒であった。私は抱えられるだけ全ての書類を持参したうえで、SMBC姫路南支店を尋ねた。既に背水の陣と言っても過言ではなかった。藁にも縋る気持ちだったのだろう。当時担当して下さったのは松井さん。その時の光景は今でも思い出すと涙が出そうになる。失礼失敬はとことんあったに違いない。少し時間も頂けて話を真っ直ぐ聞いてくれた。仕事だから、良い融資の話だから、という事情が含まれる含まれない如何にしても親身になってくれていたのは十分理解出来た。

「和田さん!!、わざわざ住宅ローンを組む為だけに修正申告をしたんだよね。ダメだったら、どうするの?」

「松井さん!!、アカンかったらアカンと思うだけなんですよ。出来るからやってる、という感じは一切ありません。アカンのは100も承知です。ローンが通るからガンバル、ってのはそもそも話がおかしくて順序がマルっきり違いますよ。何でもカンでもやってみないと分からない事なんで、僕が出来るコトは何もかも全力を尽くすだけなんです。僕に出来ないコトがあるから、松井さんにお願いしています。言葉遊びではなくて心底、お願いしています。松井さんを信じてます。軽く聞こえるかもしれませんが今はそれを否定する要素なんて全くありません。もしコレでアカンかった時には単純にアカンかっただけの話なんで理解します。姫路を飛び出すという夢は露と消えますが、また改めて準備を整えて挑戦するつもりです。一寸の光だけを見せて下さい。どうか、どうか宜しくお願いします。松井さん!!力を貸して下さい。」

もし万一ダメだったら・・・、と思っただけで胸が張り裂けそうになり確実に情緒不安定となっていた。目指すべき兵庫県、我が子の幼稚園、妻の期待、親父との激励、そんなこんなのいろいろな野望やら期待やらを考えると居ても立ってもいられなくなる。だからと言って何かが出来るか!?、というと最早、何も出来ない状態。出来る事は全て実行していた。整えられるコトは全て整えた。松井さんを信じるしか無かったのだ。NOの結果は間違い無く周囲に対する信頼が失墜へと導かれてしまう。家庭教師という仕事、個人事業主というポジション、これらの先行きはもう完全に消え失せてしまう。たった3、4年でも自分が築き上げてきたモノがパッと消えてしまう。そればかりでなく、家庭教師という職業で人生を築く、という諸行も実現出来なくなってしまう。焦る気持ちを抑えながら無我夢中で手元の仕事に没頭しまくるしかなかった。

SMBCへ住宅ローンの仮審査申請を行ってから2週間程度が過ぎた頃、松井さんから1本の電話が入った。ハラハラドキドキしながら話を聞き入る。提出前に幾つか質問事項を確認したかっただけのようであったので一先ず安心。正直言ってあまり心臓には良く無かった。さらにその後、2週間程度が過ぎた頃、また松井さんから1本の電話が入った。今度は私の意識的な確認と事業現況や将来への進展性を改めて確認したかったようで、返済能力を見出すことが出来るか否か、を問われた。松井さんから連絡がある度に心臓がバクバクして仕方が無かった。当初より、都銀での仮審査はなかなか難しい、という話を聞いていたし悉くダメ光線を受けていたので、一本目ないしは二本目の電話でスグに断られるとタカを括っていたからだ。その雰囲気を察してもらえていたようで松井さんの言葉から、次の電話では恐らくハッキリした返事が出来る、という旨の報告を受けた。いよいよ覚悟を決める時がきたような気がした。そして、しばらく結論の事は考えないようにして仕事に打ち込んでいた時のことだった。とうとう松井さんから連絡があった。それは2回目の連絡から1ケ月程度過ぎていた時のように思う。着信表示を確認してハラハラしながらも、、、

「はい、和田です。お世話になります。松井さん!!」

「和田さん!!、良い知らせだよ。。。」

その第一声に感極まってしまい膝から崩れた。知らず知らずに自然と目からは涙が溢れて体が震えまくっていた。恐らく言葉が言葉になっていなかったに違いない。そこはさすがは松井さんでした。その時の状況を汲んで頂いたようで、また改めて連絡します、というコトで後日詳しい話をすることで留めた。あまり記憶に無い状態で、もう放心状態。灯火は消えることなく灯り続けることが出来たのだ。それも都銀で。それもSMBCで。みんなの予想を遥かに超えることが出来た。大きな、大きな、大きな漸進だ。冷えきっていた周囲に灯りを灯すべく、まずは旭化成の東さんに連絡。言葉を交わしている間に互いの心に漸進を感じた。1人で出来る事なんて、とってもチッポケだ。みんなが居なければ私は何にも出来ていなかった。それは明確だ。間違いない。松井さんには本当に感謝感激である。この御恩は、今後一生SMBCと付き合っていくコトで果たすべきと決意した。これで、ようやく土俵に上がることが出来たのだ。<つづく>

無性に財布を創ってみたくなったので・・・2

毎日ブログ2012・1/30『無性に財布を創ってみたくなったので・・・1』
http://www.jyukenjyuku.jp/blog/?p=12101

・・・からスタートしてホンの数日程度で試作イメージが届いた。

試作だからとは言っても、やはり手に取ると何だかワクワクして仕方が無い。

目に見えるオモシロさ、目には見えないオモシロさ、職人さんのコダワリ、

これらがバランス良くコンバインし洗練されているをマジマジと感じる。

一点モノ大好き人間だからこそ、無いなら創る、これ常識ッ!!!

トツゲキ人生「修正」

東さん!!旭化成に決めたよッ、、、

もちろんだが他にも幾つか見回って吟味するのが妥当なのだろう。けれども、なるほどザ・ワールド、と昭和53年生まれ、モノコック構造、これらの要素が存在してあったので既に他を吟味する余地は無かった。住宅展示場に車を入れてわずか30分程度の出来事。決して失ってはいけないモノがあったからだ。それは、タイミングと時間そして人の信頼。今という時を大切にしているとリスクは必ずしも最小に抑えることが出来るし、そのうえ小さな効果を大きくさせられるチャンスも得られる。一石二鳥だ。インスピレーションが引き金となって少しずつ話が進んでいった。家を建てる場所は三田市の富士小学校の校区内。とは言っても建てる為に準備していた頭金なんて有る訳が無い。けれども、仕事は安定しつつあったので掻き集めれば何とかなる。誰が聞いても空っぽな自信だろう。そこで具体的な事をいろいろ話している内に1つの問題に打ち当たった。家の話を進めるにあたり最低でも100万円程度の準備金を揃えなければならないという事実。話の品質を高める為には止むを得ないことだろう。気が付けば親父から預かっていた部厚い封筒を目の前に出していた。無意識にもそのままハイッ。勝負をする気持ちで住宅展示場に臨んでいたのだから当然だろう。そこから空気は一新。話に深みを帯びていった。

早々に住宅ローンを組む話になって歯茎を噛み締めるような問題が浮上。それは私が個人事業主であるという社会的ポジションだからだ。個人事業主であるがゆえの諸事情を目には見えないところ、肌では感じれないところ、そういう様々な場面に存在していると実感した。不安になり過ぎて体が身震いしていたのは今でも鮮明。ローンの審査が通り難い、というのだから無理も無い。審査が通らなければ三田に住めない。そればかりでなく周囲の期待や子供達の成長に大きな問題を呈してしまう。住宅ローンの審査なんて簡単に通ると思っていた。甘かった。自分の甘さを誤摩化す為にも今の状況を精査。一般的な背景からして、都銀の審査は地方や信金よりも通り難い、という雰囲気が存在しているようだ。なので一先ず、都銀への審査申請を避けて地方銀行や信金への審査をお願いすることにした。練ったばかりの戦略で、いよいよ仮審査の申請に挑んだ。

審査中しばらく時間もあるというコトなので、申請後の結果に備えるべく打ち合わせで得ていた情報をモトに、私は私にしか出来ない事を徹底的に没頭することにした。それは車のローンの完済や税金未納の確認、修正申告に至るまでの対処だ。車のローンの完済は何とか有りっ丈のお札で片付けて税金未納が無いのも確認。財布の中身は殺風景であるコトを除いては、ここまでは良好。ただ難題に成り得そうになっていたのが修正申告。そんなのは1度もしたことがないからだ。満を持して全ての書類を持参して税務署へ赴く事を決意した。これが、どういう意味を表していたのかは、もちろん全て承知済みだった。もう漸進するしか道は残されていなかったので、気持ちを振り絞るしかない。もちろん、仮審査で結果オーライとなった訳でもない。結果が出てからでは遅いと感じていたし、自ずとヤルべきことならばヤルべきだ、と自負していたからだ。お金も無かったので日々、家から弁当持ちで税務署へ通った。その時の弁当は確かサランラップで巻いた梅干し入りのオニギリ2個だったように覚えている。この時ばかりはサラリーマンの気持ちが少し理解出来ていたように思う。唯一の休憩時間45分に税務署の駐車場脇で気分良くオニギリを食っていると当然のように変な目で見られてしまっていた。けれどもそんなコトはお構い無しだ。まぁ〜確かに変な目で見る気持ちも分かる。なぜなら間違いなく変だったからだ。税務署の休憩時間45分を除いては掛かり付けの担当者と睨めっこ。朝から夕方までの5、6時間程度も居座って勉強や相談に明け暮れて1週間程を費やした。大変、迷惑だったかもしれないが目からはビームが出ていたに違いない。もう本当に必死だったのだろう。大凡その介もあって3年分の申告を全て修正することが出来た。その後、見た事も無いぐらいの税金と並々成らぬ社会保険料の波が押し寄せてくることは覚悟が出来ていた。やらなければならないコトをやったので当然だし、これをやらないと前へは進めない。とうとう準備が整ったのだ。地位も名誉も金もない。手元に残されたのは時間とチャンスと猶予だけ。 タイムリミットは最早、切羽詰まった状態。とにかく仮審査でオッケーが出て欲しかった。何でも良いから成功して欲しかった。 <つづく>

漢検対策のワンポイント

国語大嫌いな私でも最近では、漢検対策も準1級ぐらいまでならば十分に対応出来るようになってきた。これまで大凡3年程度の道のりは過酷だったが毎日コツコツと取り組んできた介はあるようだ。ただし、その副産物として手に入れるコトが出来たものは計り知れない。さらに子供達を導いていくうえで幾つか便利な方法も構築することが出来ている。とは言っても実践しなければ意味を成さないので最近ではとことん実践している。

ヘンやツクリを学ぶ為にもってこいの方法・・・

本来ならば「覚える」という動作が確かに一番手っ取り早い手法だ。けれども子供達にとって「覚える」というのはとても大変なコト。わざわざ子供達の心に潜む邪魔臭い魔人とも闘いを挑む訳にもいかない。そこで私は「見て慣れる」という手法を実践している。これは複雑なコトを無意識な心境に訴え掛け続け、気が付けば覚えてしまっているようにさせるのが狙いだ。

環境の整え方は至ってシンプルで、子供達に毎日、毎日練習してもらえるように願いを込めて私自らが工夫しながら漢字の宿題を手書きしている。だいたい45分もあれば3ステップ分、又は2テスト分の漢字をほぼ全て書き写す事が出来る。ノートにすると12、3ページ分ぐらいになるだろう。

この書き写す作業は一見、無駄なように思うが不思議とこれまでに一番、宿題の達成率が高い。加えて言うならば子供達の手元に一番近い存在と成り得る。だから子供達の苦手な漢字や傾向が手に取るように素早く理解出来て、対処方法を探さなくても速やかに改善させることに繋げられる。大きな効果を掴みにいくよりも小さな効果を積み重ねていくコトの方が大きなリスクの回避にも繋がるだけでなく、想像以上の遥かに大きな効果を得られる。