トツゲキ人生「瞬間」

1つ1つではあったが受験塾家庭教師の骨組みもカタチ創られていく内に、少しずつではあったが余裕という摩訶不思議な感覚に浸れるようになっていた。そこで前々から「金融取引」というモノを出来れば勉強したかった事もあり、そこへ来てJALの騒動も重なっていた事もあったので、善は急げとばかりに近くの証券会社に赴き、とにかく右も左も何にも分からないんですが株というモノをやってみたいんで教えて下さい!、 という主旨を恥じらいも無く若僧らしい熱っぽい感じで話をした。それからと言うもの証券会社に毎日のように足を運んだ。それも弁当持ちで毎日のように足を運んだのだ。株式、証券、為替、という違いはもちろんの事。買う、売る、差額で利益を得る、差額で損失を得る、というような株式投資の基本的な方法から社会の動きや要人の発言の重要性に至るまで、そんな当たり前の事すら知らないズブの素人でもある私にでも、窓口担当の方は一から十まで1つ1つ丁寧に教えて下さった。ちなみに知識を植え付ける為のセミナーとかには一切参加する気はなかった。如何せん昔から学習塾のようなモノに群がるのは苦手だったからだ。セミナーに通ったから、と言って、株の本を買って読んだから、と言って時間とコストが掛かって仕方が無い。現場で闘っている人達と生の状況を踏まえた上で話をした方がより一層効果がある。ましてや無料だ。論より証拠であり、百聞は一見に如かず、なのだ。一様に説明をして下さり、自分自身の中でも理解出来つつあったので次なるステップの、口座をつくる、という作業に進んだ。口座と言っても銀行の口座とはまた少し違っていた。言うなれば金融商品の売買をする為だけの口座だ。間違いなく面食らった。とりあえず無け無しのポケットマネーを元手に1ヶ月というスパンも決めて勝負をする為の準備を整えたうえで口座を開設することにした。時が経つに連れて自分がどんどん社会の一員になっている事を実感をしていた。

いよいよ現実的に、買う、という事をやってみることにした。当時はJALで大きな騒動が起きていた。けれども恥ずかしながらも、それがどんだけ大きな騒動なのか、は間違いなく理解不能だった。自分の中では今更、誰に聞く事も出来ずにいた。この一連の騒動に乗っかってみるべく売買というモノに挑戦してみることにした。大前提的に分かっている事としては、安く買って高く売る、ということだ。一見すると簡単なことだ。けれどもそこには難しさとオモシロさが隠されている。買うという判断をする、だけで大きな勝負心みたいなモノが心の中で膨らむのを理解出来た。決断をする為には社会事情を徹底的に集めなければならないのだ。単に、買う売る、ではないのだ。買っている人達や売っている人達は各所様々な情報を集めて根拠を持った結論に従って、買う売る、という末端の判断を繊細にかつ思慮深くしている。だから彼等は少なくとも大きな損失を抱え込むことはないと理解出来た。これは実際に、買う売る、という寸前に立ってみて初めて分かったことである。この騒動をキッカケに様々な事を学ぶコトが出来たし、現場の熱も思った以上に感じることが出来た。結局のところ1ヶ月間というスパンを事前に設定して1円でもプラスになれば良い、という目標を心の中で掲げながらも最終的には1ヶ月も立たない内に口座の資金が底をつき、取引を断念せざるを得なかった。でも不思議と手痛い損失とは思わなかった。むしろコレは今後の長い人生を考えると有益であるに違いないと悟っていたからだ。

この経験から、リスクマネジメントの重要性、に大きく気付いた。これは実際、今の自分にも結び付けることが出来ている。大きなリスクと小さなリスクがあった場合、小さなリスクを得たとしても、それは言うなれば大きな効果と言える。よって小さなリスクならば十分に巻き返すことの出来る余白が残されている訳だ。ここで十分に注意して欲しいコトは、リスクを負いたく無い!、という私情を挟むこと。これは結局のところ大きなリスクを掴まざるを得なくなってしまう結果に結びついてしまう。いつまで経っても勝負が出来ないばかりでなく、いつまで経っても成功への切符を見付けることが出来ない。チャンスを得られない、というリスクこそが最大のリスクと考えるべきなのだ。負わなければならないリスクは必ず負うべきで、それをコントロールすること最大の効果に繋げれば良いだけなのだ。私はこの度の株式投資により小さなポケットマネーは1ヶ月も経たない内に底をついたものの、残された時間と用心深さ、そして行動力と情報の収集と判断方法を得ることが出来た。これは法人化への構想が再び動き出す瞬間でもあったのだ。